星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!! 2019年08月 - 古城巡り 写真館
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  • ㊟主要郭のみを、巡りました。春日山駅から見た春日山城築城の時期についてはよくわかっていませんが、南北朝時代(約600年前)には既に存在していたようです。ただ、現在見られるような広大な城に整備されるのは後のことで、上杉謙信公・景勝公と堀氏によるものと考えられています。「城」という字が「土偏」に「成る」と書くように、春日山城はまさに「土の城」であり、複雑な自然の地形を巧みに利用した堅固な城塞は、難攻不落... 続きを読む
  • 林泉寺(りんせんじ)は、越後国守護代・長尾氏およびその後裔である上杉氏の菩提寺として知られる曹洞宗の寺院である。山号は春日山(かすがさん)。 長尾氏の居城・春日山城(現在の新潟県上越市)の山麓に建立された上越市の林泉寺。春日山林泉寺 総門 春日山城の搦手門と云われる(数年前に改修され、茅葺から銅葺になっていました)春日山林泉寺 山門山門の第一義林泉寺境内... 続きを読む
  • 本堂裏の石段を上ったところには、賤ヶ岳七本槍のひとりに数えられ、寛永元年(1624年)に没した福島正則(ふくしままさのり)の霊廟が建立されています。霊廟には、遺骨が埋葬され、左遷状や太閤葬儀行列張などが納められています。福島正則は、元和5年(1619年)、台風による水害で破壊された広島城の本丸・二の丸・三の丸の石垣の修築を幕府に無断で行なったとして、安芸・備後50万石は没収、信濃国川中島四郡中の高井郡と越後... 続きを読む
  • 福島正則屋敷、現在は中央に高井山高井寺となる元和5年(1619年)、安芸・備後両国の大名福島正則が広島城の無断普請を理由に領地を没収され、この地に転封を命じられて居住した所である。高井野藩4万5千石(後に2万5千石を返上)の藩庁が置かれた。 屋敷は103m×70mの方形単郭の平城であったが、東北隅に高さ5mの土塁が残存するのみで、屋敷跡の中央には高井山高井寺(たかいさんこうせいじ)が建っている。[1] 現存する石垣は、安... 続きを読む
  • 【県史跡指定】善導寺は館林駅前に隣接していたことから、館林駅前広場整備計画により現在の地に移転しそれにに伴い、榊原家の墓も移転しました。榊原康政は、天文17年(1548年)三河国上野(現在の愛知県豊田市)に生まれ、幼名を亀、のちに小平太と名乗り12才で徳川家康の家臣となりました。 初陣は、永禄6年(1563年)上野の合戦で、この時手柄をたて家康から一時を賜り家政と名乗りました。以後、姉川、三方ヶ原、長篠、小牧、... 続きを読む
  • 市指定史跡善長寺 群馬県館林市館林城主榊原忠次の母「祥室院」は、下総国関宿(現在の千葉県野田市(旧東葛飾郡関宿町))城主松平因幡守家元(徳川家康の異父弟)の娘で、榊原康政の長子 遠江国横須賀(現静岡県掛川市)城主の大須賀忠政に嫁ぎ忠次を生みました。 忠政が慶長12年(1607年)に病没すると、徳川家康の命により伊勢国長島(現在の三重県桑名市長島町)城主菅沼定芳に再嫁し、元和9年(1623年)に近江国膳所(現在... 続きを読む
  • 築城については、江戸時代になって書かれたもののなかに、赤井照光によって築かれたとするものがあり、「狐の尾曳伝説」として知られているが、現在確認されている館林城について書かれた最古の古文書は、文明3年(1471年)に上杉軍が赤井文六、文三の居城である「立林(館林)城」を攻略したという記録である。 「狐の尾曳伝説」とは、赤井照光が子ぎつねを助けたところお稲荷様の化身の白きつねが現れ、尾を曳いて城の配置を教え... 続きを読む

最新記事 (サムネイル付)

城館リスト Aug 17, 2030
須影八幡神社 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
長光寺 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
源長寺 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
葛浜氏館 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019

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