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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

逆井城 茨城県坂東市






逆井城はもともと逆井氏が治めていたといわれています。逆井常繁の代、天文5年(1536)3月3日、小田原を本拠地とする後北条氏の軍勢に攻められ、以後、天正18年(1590)に後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされるまで、同氏の北関東進出の拠点となっていた、といわれています。
 この地は常陸佐竹氏・結城氏・多賀谷氏との領国の境目にあたり、すぐ北側にある自然の要害である「飯沼」に囲まれ堅牢を誇っていたと思われます。




改 逆井城2019 茨城県坂東市
㊟イメ-ジ図になります(。>ω<。)ノ




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井楼櫓は米を蒸す蒸篭と同じように、井形に組んだ方形材(ほうけいざい)を次々と組み上げた櫓です。
櫓の役割が発展・大規模化したものが近世城郭の天守閣で、城主の威厳を誇示した政治的役割が加味されています。

(*雨天からの曇天)



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東ニノ郭の城址碑




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主郭の南側の馬出


_DSC5173.jpg
この櫓門と橋は逆井城跡の発掘調査の成果を元に復元されています。橋の遺構は礎石・男柱・支柱の穴が見つかっています。また、櫓門の遺構としては、東西に3個ずつ2列で方形に結べる柱穴と雨後(うご)溝(みぞ)が見つかっています。
旧柱位置よりも西へ1m、北へ50㎝ずらされています。なお形については、資料を基に戦国時代末期の姿を想定しています。





[茨城県坂東市逆井1261]

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長野県佐久市城館 ダイジェスト

春日城 芦田氏居館 天神城 式部氏居館 式部城 日向城



*長野県佐久市、春日城、天神城、式部城、日向城のダイジェスト版になります(。>ω<。)ノ

春日城@ヤマシロ





天神城@ヤマシロ





日向@ヤマシロ





式部城@式部氏居館@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります♪(o・ω・)ノ))

式部城 長野県佐久市






式部城@式部氏居館@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります(*・`ω´・)ゞ





詳細不明。城主は阿江木氏が伝えられる。
式部城は式部集落の南西にある比高80m程の山に築かれている。式部公民館の前に式部居館があり、館と詰城の関係と推測される。
主郭は北へ伸びた尾根の先端にあり、南背後の尾根を4重の大堀切で遮断し、堀切は竪堀として長く伸びている。主郭は堀切に面して高土塁が残る。





式部氏居館跡の土塁
式部氏居館跡の土塁(説明板有り)

*今回は雨天の為、コンデジを使用の為不鮮明な写真になります(。>ω<。)ノ



突き当りが、式部城登城口
突き当りが、式部城登城口




式部城の綺麗な腰郭
式部城の綺麗な腰郭




式部城の主郭 背後に土塁
式部城の主郭 背後に土塁




主郭側面の石積痕
主郭側面の石積痕??




主郭背後の堀切、ここから4本連続する!!
主郭背後の堀切、ここから4本連続する!!





[長野県佐久市布施2611−3]

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春日城 長野県佐久市





春日城@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります♪(/・ω・)/ ♪





築城時期は不明だが、鎌倉期初頭から室町時代にかけて、この地を祢津氏庶流春日氏が支配していたため、春日氏の者による築城を思われる。
永正13年(1515年)、信濃国の佐久郡望月地方の豪族望月氏に攻められ祢津氏系春日氏は滅ぼされ、その後は望月氏系春日氏の居城となった。
天文10年(1541年)、武田氏の佐久侵攻後、望月氏は武田氏に属し、春日城も依田系芦田信守の属城となった。
武田氏滅亡後の天正壬午の乱で徳川氏の家臣となった依田信蕃が、天正10年(1582年)真田昌幸の協力を得て春日城を本拠にし、望月城はじめ佐久の諸城を攻略したが、翌年天正11年(1583年)大井行吉が守る岩尾城を攻撃中に弟と共に戦死。依田康国が跡を継ぎ大久保忠世が後見として佐久郡を治めたが、天正18年(1590年)に上野国石倉城攻めで討死にし、春日城もこの頃に廃城になったと考えられている。







教会の先を、左に入り登城口(案内板は無)
教会の先を、左に入り登城口(案内板は無)




秋葉神社が鎮座する郭2
秋葉神社が鎮座する郭2




春日城主郭 背後に土塁
春日城主郭 背後に土塁
春日城は康国寺の背後に聳える標高892.7mの山頂に築かれている。 麓にある康国寺は居館があったところで、康国の菩提を弔う為に松平康勝によって建立された寺院である。
主郭は山頂にあり南背後に土塁を設け大堀切によって尾根を遮断している。北に堀切を挟んで郭2があり、秋葉神社が鎮座している。主郭背後の尾根は4条の堀切で遮断している。
郭2から北東へ伸びた尾根に城域が広がり、山腹にある舞台のある曲輪まで堀切や小さな段郭が連なっている。さらに北東の尾根先まで堀切や小郭、竪堀などが残る。
主郭から東へ伸びた尾根にも段々と郭が連なり、東端部は北へ竪堀が伸びている。





主郭背後の堀切
主郭背後の堀切





居館跡 康国寺 後方の山が春日城
居館跡 康国寺 後方の山が春日城

*今回はコンデジの為、不鮮明な写真になります(。>ω<。)ノ




[長野県佐久市春日2600−1]


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*示す位置は、登城口を示しています

天神城(旧望月城) 長野県佐久市

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天神城@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります(・Д・)ノ




築城年代は定かではないが望月氏によって築かれたと云われる。
建武2年(1335年)小笠原経氏に攻撃されて落城した望月城は当城と推測されている。その後、望月氏は望月城を築いて居城とした。
永禄年間(1558年~1570年)頃から芦田氏さらに依田氏の城となったという。




天神城 堀切
天神城 堀切




天神城案内板
天神城は鹿曲川と八丁地川の間を細長く北へ伸びた台地の上に築かれている。
細長く伸びた台地を空堀で区画して南北に曲輪を連なる単純な縄張りで、数ヶ所の曲輪が存在するようである。主郭と思われる場所には小さな祠が祀られており、現在はそこへの遊歩道が設けられている。





天神城主郭堀切の石積
天神城主郭と郭2間の堀切の石積





[長野県佐久市協和7064]

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日向城 長野県佐久市

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詳細不明。日向の地名は建武元年(1334年)の大徳寺文書に「同郷(県沢)隣庄日向地頭平賀弥七、欲打越堺事」とあり古くから知られる集落である。
伝承によれば、武田氏の家臣で長閑屋敷に居た長坂釣閑斎光堅の居城であったとされる。
主郭は八幡宮が祀られた小高い曲輪で小さいながら背後には高土塁を設けている。この主郭をU字型に取り巻くようになっているのが二郭、さらに北東の山腹に帯曲輪が段々と連なっている。
この城の特徴はなんといっても背後にある数条の巨大な堀切群とそこから伸びる竪堀群である。






日向@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります♪(/・ω・)/ ♪






日向城主郭
日向城主郭




主郭背後の土塁
主郭背後の土塁




二本目の堀切
二本目の堀切




連続する堀切
連続する堀切






[長野県佐久市根岸1347]

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*示す位置は登城口になります。

円覚寺 神奈川県鎌倉市

円覚寺






円覚寺
鎌倉幕府8代執権北条時宗(1251年 - 1284年)は、国家鎮護のためと文永の役の戦没者の菩提を弔うため、円覚寺創建を発願した。寺は弘安4年(1281年)から建立が始められ、翌弘安5年(1282年)に無学祖元(仏光国師)を開山(初代住持)に迎えて開堂供養が行われた。時宗は当時鎌倉にいた中国出身の高僧蘭渓道隆(建長寺初代住職)を師として禅の修行に励んでいたが、その蘭渓が弘安元年(1278年)7月に没してしまったため、時宗は代わりとなる高僧を捜すべく、建長寺の僧2名を宋に派遣した。これに応じて弘安2年(1279年)に来日したのが無学祖元である。鎌倉にはすでに時宗の父・北条時頼が創建した禅寺の建長寺が存在していたが、官寺的性格の強い同寺に対し、当初の円覚寺は北条氏の私寺であった。また、円覚寺の創建については、中国に帰国しようとしていた無学祖元を引き止めようとしたという事情もあったと言われる




円覚寺山門
円覚寺山門
山号の「瑞鹿山」は、円覚寺開堂の儀式の際、白鹿の群れが現われ、説法を聴聞したという故事によるものとされ(『元亨釈書』等による)、今も境内にはその鹿の群れが飛び出してきた穴と称する「白鹿洞」がある。また寺号の「円覚」は、時宗と蘭渓道隆とが寺を建てる場所を探している際、現在の円覚寺がある場所に至り地面を掘ったところ、地中から石櫃(いしびつ)に入った円覚経という経典が発掘されたことによるという(『本朝高僧伝』等による)。
当寺では元寇で戦死した日本の武士と元軍(モンゴル・高麗等)の戦士が、分け隔てなく供養されている。
円覚寺は弘安10年(1287年)以降たびたび火災に遭っている。中でも応安7年(1374年)の大火、大永6年(1526年)の里見義豊の兵火、永禄6年(1563年)の大火、元禄16年(1703年)の震災などの被害は大きく、大正12年(1923年)の関東大震災でも仏殿などが倒壊する被害を受けている。





円覚寺 仏殿
仏殿・関東大震災で倒壊し、 昭和39年(1964年)再建。鉄筋コンクリート造だが、元亀4年(1573年)の仏殿指図(さしず、設計図)に基づいて建てられている。堂内には本尊の宝冠釈迦如来像や梵天・帝釈天像などを安置する。天井画の「白龍図」は前田青邨の監修で日本画家守屋多々志が描いたもの。




円覚寺 開基廟
開基廟・円覚寺の開基である北条時宗を祀っています、現在の開基廟は文化8年(1811)年に改築されたとされます。




円覚寺 方丈
方丈・方丈は元来は寺の住持の住む建物を指すが、現在では各種儀式・行事に用いられる建物となっている。前庭のビャクシン(柏槇、和名イブキ)の古木は無学祖元手植えと伝える。






[神奈川県鎌倉市山ノ内409]

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足袋蔵めぐり 埼玉県行田市

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忍城の城下町行田の裏通りを歩くと、時折ミシンの音が響き、土蔵、石蔵、モルタル蔵など多彩な足袋の倉庫「足袋蔵」が姿を現す。行田足袋の始まりは約 300 年前。武士の妻たちの内職であった行田足袋は、やがて名産品として広く知れ渡り、最盛期には全国の約8割の足袋を生産するまでに発展した。それと共に明治時代後半から足袋蔵が次々と建てられていった。今も日本一の足袋産地として和装文化の足元を支え続ける行田には、多くの足袋蔵等歴史的建造物が残り、趣きある景観を形づくっている。
日本遺産 足袋蔵めぐり




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建長寺 神奈川県鎌倉市

建長寺





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建長寺は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼によって創建された禅宗寺院で、建長5年(1253年)に落慶供養が営まれている。開山(初代住職)は南宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)であった。当時の日本は、承久の乱(1221年)を経て北条氏の権力基盤が安定していた。京都にある朝廷の全国支配力は弱まり、政治的には鎌倉が事実上、日本の首府となっていた時代であった。北条時頼は熱心な仏教信者であり、禅宗に深く帰依していた。




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創建の時期については、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には建長3年(1251年)から造営が始められ、同5年(1253年)に落慶供養が行われたとある。造営開始時期については建長元年(1249年)ないし2年からとする異説もあるが、おおむね建長元年(1249年)頃から造営の準備がなされ、同5年(1253年)に完成したとされる。建長寺が所在する山ノ内は、幕府のある鎌倉の中心部からは山一つ隔てた所に位置し、鎌倉の北の出入口の護りに当たる要衝の地であって、北条氏の本拠地でもあった。建長寺の境内が広がる谷(鎌倉では「やつ」と読む)は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が建っていた。建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく地蔵菩薩であるのは、こうした因縁によるものである。また、心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は今も建長寺に伝来している。





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開山の蘭渓道隆は中国・宋末の禅僧で、寛元4年(1246年)、33歳で来日した。はじめ筑前国博多に着き、京都に一時住んだ後、宝治2年(1248年)に鎌倉入りした。建長寺が創建されるまでは常楽寺(鎌倉市大船に現存)に住した。当時の日本には、すでに半世紀以上前に建立された建仁寺(京都)や寿福寺(鎌倉)などの禅宗系寺院があったが、当時これらの寺院は禅宗と他宗との兼学であり、純粋禅の道場としては建長寺は、聖福寺(北九州)などに次ぐ古さを誇るとされている。伽藍配置は中国式であり、寺内では日常的に中国語が使われていたという。蘭渓道隆の禅風は中国宋時代の純粋禅を受け継いだ厳格なものであった。道隆は弘長2年(1262年)京都の建仁寺に移ったが2年後に鎌倉に戻って建長寺住持に復帰。その後、文永の役の際には中国側のスパイと疑われたためか、甲斐国(山梨県)に流されたこともあったが、のちに許されて鎌倉に戻り、弘安元年(1278年)4月、建長寺住持に再度復帰。同じ年の7月、異国日本で生涯を閉じた。66歳であった。




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[神奈川県鎌倉市山ノ内104]

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北鎌倉の紫陽花

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明月院 紫陽花3





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