星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!! 2019年05月 - 古城巡り 写真館
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  • 本丸西櫓土浦城本丸の土塁上の東西には、江戸時代初期四代藩主西尾忠照が元和6(1620)~7年にかけて築いたおのおの二層の物見櫓があった。東櫓は明治17(1884)年に本丸館とともに火災で消失、西櫓も昭和24年のキティ台風で破損し取り壊された。その後、西櫓が平成2年、東櫓が平成10(1998)年に復元された。本丸櫓門土浦城櫓門は、本丸、二の丸の遺跡とともに茨城県の文化財に指定されている。火災や戦災などで各地の城郭建築が失わ... 続きを読む
  • 土浦城 外郭土浦城 主要郭土浦古絵図 駅の観光案内で貰えます(ネットでもダウンロ-ド出来ます)平安時代、天慶年間(938年から947年)に平将門が砦を築いたという伝説があるが、文献上確かなのは室町時代、永享年間(1429年から1441年)に常陸守護、八田知家の後裔、豪族の小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城したのが最初である。戦国時代に入り永正13年(1516年)、若泉五郎左衛門が城主の時、小田氏の部将・菅谷勝貞によ... 続きを読む
  • 伊豆木陣屋後方の山に広大に遺構が残る水晶山の東へ延びる尾根が伊豆木盆地で終わる先端部の小山上に位置します。ここには数個の山が乱立している、これらの小山を利用し郭を設け間の沢を使用しこれを堀とし、所々に堀切を設けている。比高はそれほど高くないが山全体に遺構がは広がり、南東麓には伊豆木陣屋(小笠原家書院)がある。伊豆木城は、築城年代はさだかでないが伊豆木氏によって築かれた。 伊豆木氏は、南北朝時代の頃... 続きを読む
  • この城についての歴史的詳細は不明であるが城名からして飯沼氏が本拠としていた城であろう。城跡は諏訪神社の境内以外は高陵中学校の敷地や住宅地及びJR飯田線により大きく改変され旧地形を読み取る事は困難である。北側から飯沼諏訪神社を見上げる、唯一の遺構が残る飯沼諏訪神社境内諏訪神社拝殿背後の土塁[長野県飯田市上郷飯沼2959]大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )... 続きを読む
  • 飯田市役所松尾支所の南側一帯が松尾小笠原氏の居館地と考えられる。こ辺りは「城」と呼ばれ国道152号線を挟んで南北に広範囲にわたるが国道より清見寺にかけての段丘上が中心部だろうとされる。松尾館の中心部と思われる、清見寺清見寺から見た館西側の展望[長野県飯田市松尾城4052]大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )... 続きを読む
  • 飯田城13世紀初めに飯田で勢力を持つようになった坂西(ばんざい)氏により築かれたといわれる。天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡、信濃伊那郡は織田家臣・毛利長秀に与えられ、長秀は飯田城を拠点に伊那郡支配を行う。同年6月の本能寺の変により発生した天正壬午の乱を経て、三河国の徳川家康の支援を得た下条頼安が飯田城を掌握し、後に菅沼定利が入城した。徳川勢の関東移封後には、再び毛利秀頼が入り、その娘婿の京極高知に... 続きを読む
  • 伊豆木陣屋 大手橋伊豆木陣屋 小笠原氏旧館絵図説明板陣屋は慶長5年(1600年)に松尾小笠原氏の小笠原信嶺の弟で交代寄合旗本となった小笠原長巨(ながなお)によって築かれた。徳川家康の命で武蔵国本庄から転封となり、中世の山城である伊豆木城の麓に陣屋を構えた。 陣屋は居間、書院を中心に土蔵、厩舎などがあった。陣屋入り口には物見櫓があり、陣屋門として太鼓門があった。太鼓門は現在、飯田市伝馬町の専照寺の山門とな... 続きを読む
  • 現在東側が産業廃棄物の処分場となり一部削り取られているが兎城公園として整備され旧態を残しています。城主は桃井氏が考えられる、上の城の出城とされるが上の城ついてはハッキリしない。縄張り的には連郭式の構造で地形を生かした堅固な造りをなしている。最初の郭になる、郭3郭3先の外堀跡の石碑郭2の大平神社郭1手前の大堀切郭1の土塁郭1は兎城公園となり奥に金山社、若宮社が祀られています郭1背後の土塁最北端の郭4[長野県... 続きを読む
  • 瑠璃光寺境内は堀屋敷といわれる中世の遺構地と考えられるこの屋敷は、長尾城の北方に位置し上総屋敷に対して、長尾城の東方に位置しする屋敷で有る堀屋敷が在ったとされる境内の周囲には堀が巡っていたといわれる、現在は東側ひ僅かに窪みであるが堀が確認できる瑠璃光寺が瑠璃光寺堀屋敷山門前の水路は堀跡?山門の土塁痕瑠璃光寺 本堂[長野県安曇野市三郷温610]大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつも... 続きを読む
  • 法蔵寺と豊科公園の一帯で、東西140m、南北130m位の所で有る。北から東へかけて、水路と低い土塁痕が残る。南辺にも堤があり幅4mの堀が巡っていたと思われる。作りから見て、西方が正面で今の山門のあるあたりが大手門で有ったと思われる。館の規模は大きい方で、この館主は勢力は相当大きかったことが考えられる。構えは館の南の備えであろう。法蔵寺山門法蔵寺本堂法蔵寺館の標柱法蔵寺館の土塁痕か[長野県安曇野市豊科571... 続きを読む

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城館リスト Aug 17, 2030
須影八幡神社 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
長光寺 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
源長寺 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
葛浜氏館 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019

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