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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photoで見る 城館をどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます。

古城巡り 写真館

登城記録2019年

                2019年 登城数 月日 新規 再 住所 城館名 1/6 8   茨城県鉾田市 堀ノ内砦 蕨砦 野友城 田山館 徳宿城 三階城         要害城 馬場館 烟田城       1/13   2 埼玉県嵐山町 菅谷館 杉山城           ...

茨城県常陸大宮市城館ダイジェスト版 2018.12.29

茨城県常陸大宮市城館ダイジェスト版収録城館 「小場城 下岩瀬館 上岩瀬館 前小屋城 宇留野城 部垂城 東野城(館山 城山)」㊟イメ-ジ図になります(-ω-)/...

城山 東野城 茨城県常陸大宮市

城山 東野城㊟イメ-ジ図になります(○´・Д・`)ノ東野城(城山)遠景近年(2011年)発見された城で、佐竹家請には小瀬義春の庶忠長子が東野に所領を得て、東野氏の祖となったと記されている。部垂の乱では、佐竹(部垂)義元は戦力確保の為として、天文8年(1539)泉氏に東野を与えている。城址は城山、館山、常龍寺砦の三っからの城郭遺構に構成される。虎口先に堀が巡る横堀東側郭2への坂虎口城山の出丸北側 郭3の堀東野城(館山...

館山 東野城 茨城県常陸大宮市

館山(東野城)㊟イメ-ジ図になります(-ω-)/この城についての詳細は不明でるが、東野城の南側に位置し北にも常龍寺砦が有りこの砦群を含めての総構えの城郭だろうか??奥が館山城で、手前に伝水堀西側の堀主郭への坂虎口館山の主郭北側の堀2018年12月29日登城[茨城県常陸大宮市東野2909]大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )...

宇留野城 茨城県常陸大宮市

宇留野城㊟イメ-ジ図になります(-ω-)/宇留野城は平安時代の天禄年間(970年頃)からあったと言われ、鎌倉時代の文書に登場する宇留野氏の居城であったといわれる。その後佐竹氏14代の義俊の子がこの地を領し、宇留野氏を称するようになったとも言う。 部垂の乱では宇留野城主の宇留野義元が部垂城を中心に佐竹本家に反乱を起こしたが、12年の後に鎮圧されたという。 城はその後も存続したようだが、後、佐竹氏が秋田に転...

部垂城 茨城県常陸大宮市

大宮地域大宮市街地に跡を残す中世城郭です。城の中心部分には、現在、市立大宮小学校が建っています。  部垂城は、久慈川西岸の比高25mの大宮台地北側の縁辺部に築かれた城郭で、東西400m・南北300mの規模をもちます。14世紀頃、常陸平氏の子孫である河崎頼幹が築城したと伝えられ、長禄年間(1457-60)に岩瀬一族の小貫頼定がこれを奪い居城とします。その後小貫氏が3代 約70年間城主を務めましたが、享禄2年(1529)、佐竹宿老...

前小屋城 茨城県常陸大宮市

前小屋城㊟イメ-ジ図になります(-ω-)/前小屋城跡は大宮地域泉にあります。東に久慈川を望む大宮台地東端には、北から部垂城、宇留野城、前小屋城が至近距離で築城されていました。前小屋城の本城部分には、「泉の観音さん」として知られる種生院(しゅしょういん)があります。  発掘調査をしていないため、成立年代などの詳細は不明ですが、最初の築城者は秀郷流藤原氏系の那珂氏の分流で、のちに佐竹家臣となる平沢丹後守通行...

上岩瀬館 茨城県常陸大宮市

上岩瀬館は岩瀬義教の居城であったという。久慈川西岸の誕生寺がその跡である。かつての沼沢地に臨んだ低い台地上の位置取りで、遺構はあまり明確ではないが、誕生寺の東西には空堀の痕跡らしきものが見受けられる。誕生寺の背後の空堀の脇に残る土塁の一部である・・・・しかし近年かなり土塁が削られていました。誕生寺山門の石碑上岩瀬館 誕生寺本堂誕生寺北側の土塁北側に残る土塁と堀誕生寺北側の堀 東側から東側の堀跡2018...

下岩瀬館 茨城県常陸大宮市

この館は岩瀬氏の館跡と伝えられており、近年地元の方が石碑を立てられました、碑に出てくる岩瀬与一太郎は吾妻鏡に出てくる人物です。幾つかの遍歴が有り、再び現在の下岩瀬館に居住したのは、1540年に名がある岩瀬豊後守だとしていおり、遺構もそのころのものだと思われる。遺構位置図館の目印となる五大尊堂・・・・傾いてますね??館跡西側岩瀬与一太郎居館の石碑北側の土塁東側の堀と土塁南側から見た土塁大きい地図・ル...

小場城 茨城県常陸大宮市

小場城小場の地に佐竹一族によって館が築かれたのは、鎌倉時代にさかのぼると考えられるが、小場城を本格的に整備し居城としたのは、佐竹氏10代当主義篤の子義躬(1403年没)を祖とする小場氏である。城は、那珂川左岸の低湿地との比高約30mの台地を利用した平山城で、幾重もの堀で台地を区分するように郭が築かれている。台地の北西と南東に那珂川低湿地から続く2本の谷が深く入り込み、南西に面する那珂川とともに、天然の巨大...