小倉城 2017改 埼玉県ときがわ
小倉城 2017改①小倉城 2017改②小倉城跡にかかわる同時代の確実な文書は発見されていないが、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』では、戦国時代の関東に覇を唱えた後北条氏の重臣遠山氏を城主として伝えています。また、『武蔵志』では遠山氏、或いは上田氏とも伝えています。 小倉城は、攻守一体で様々な工夫が凝らされた削平地をつらねた戦国時代の山城で、通称城山と呼ばれる山の山頂から中腹にかかえて所在している。小倉城 三...
青山城 2017改 埼玉県小川町
青山城 2017改青山城跡は、青山と下里の大字境に位置し、青山側では青山城、下里側では割谷城と呼ばれています。城跡は尾根を巧みに利用し、標高265メートルの山頂部に築かれた本郭を中心に、南西に二の郭、南東に三の郭をコの字状に配し、それぞれの郭は深い堀切で画されています。また、本郭の南東側および二の郭の東側には帯郭がよく残されています。 本城が築かれて年代については不明な部分が多いのですが、関八州古戦録...
腰越城 2017改 埼玉県小川町
腰越城 2017改槻川に三方を囲まれた天然の要害に築かれた戦国時代の典型的な山城で、松山城主上田氏の家老山田伊賀守直定の居城として伝えられています。標高216mを測る本郭からは、東に小川盆地や比企丘陵の山々、西に堂平山・笠山や安戸方面を見渡すことができ、すばらしい眺望が開けています。 城郭は、山頂の本郭を中心に二の郭・西の郭・帯郭など大小様々な17の郭と、竪堀・堀切などから構成されており、巧みに組み合...
青鳥城 埼玉県東松山市
青鳥城跡は、古伝によれば天長年間(830年頃)に青鳥判官藤原恒義の館跡と伝えられていますが、築城がそこまで遡ることは考えられず、早くても平安末期頃、豪族の館として本郭の部分が作られたと考えられます。青鳥城城址碑 主郭鎌倉時代には城塞が形成されていたとも考えられていますが、築城様式から南北朝の頃営造されたものであろうと考えられています。二ノ丸 折れ部の土塁空堀戦国時代には、松山城に最も手近な出城であっ...
松山城 福島県須賀川市
松山城1537年に田村隆顕と同盟関係にあった蘆名盛氏が二階堂照行の松山城を攻撃したとある。また1562年、蘆名盛氏・盛興親子が松山城を修築して横田城を攻めて横田氏を捕らえたとある。仙道軍記によると、「1562年に田村氏が松山城を攻略して籠城したが、二階堂氏が兵糧攻めに出て田村氏が敗退した」とある。松山城は、横田地区にある岩崎山史跡公園となっている丘陵に築かれている。松山城 麓から松山城 入り口 岩崎山史跡公園...