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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

手賀城 茨城県行方市

手賀城概念図@ヤマシロ



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手賀城 

手賀城






築城者は二説ある。一つは嘉応元年(1169)、行方景幹の二男家政が手賀に配され地頭となり手賀氏を名乗ったというもの。もう一つは嘉応年間(1169-1171)に玉造城主、玉造幹政の二男正家が手賀と平浜を分与され手賀氏を称し手賀城を築いたというもの。いずれにせよ常陸大掾氏系の手賀氏の居城であったということは間違いなさそうだ。永禄二年(1559)には手賀城主与一郎景幹は玉造宗幹と共に小田氏治と戦っている。その後、小田氏滅亡のあとの高幹の時、天正19年(1591)2月、佐竹義宣によって「南方三十三館」と称された鹿行の城主と共に誘殺され、手賀城も落城した。

手賀城は城主菩提寺の養徳寺の正面にある、城址へはいくつかのル-トがあるだろうが・・・・藪漕ぎは必要である!!
城址の西側の道路から横堀のある場所からが、簡単に行くル-トだと言えますが・・・・・城内は、堀底以外、竹藪です!!



手賀城 遠景
養徳寺からの手賀城


手賀城 入り口
手賀城 登城口付近


手賀城 主郭
手賀城 主郭


手賀城 堀
手賀城 横堀


手賀城概念図@ヤマシロ
㊟概念図・・・・・イメ-ジ図です(・Д・)ノ





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小高城 

小高城





小高氏は行方四頭の一角で、鎌倉時代の初期に行方城主の為幹が小高に居城を移し、小高氏を名乗ったのが小高氏の始まりとされています。
小高氏は徐々に周囲に勢力を伸ばしていきますが、佐竹氏による「南方三十三館の仕置き」にて親子共々誘殺され、小高城は落城。その後は佐竹家家臣の大山義則が城主として配備されますが、佐竹氏の秋田移封に伴って小高城は廃城になったものと推察されています。

郭4から郭2までは耕作地となっているが郭1は藪かしています、しかし郭2と郭1の横堀は良好に残る。


小高城概念図完成@ヤマシロ
小高城概念図 イメ-ジ図になります(・Д・)ノ


小高城 堀
小高城 郭2横堀


_小高城 説明板
小高城 現地説明板 入り口に有り




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相賀城 茨城県行方市

相賀城概念図完成@ヤマシロ



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相賀城 

相賀城





相賀城は平安末、逢賀太郎親幹が築いた逢賀城で、これを室町時代の末期に手賀左近尉義元(相賀入道)が再建し、相賀城と呼ぶようになったと伝えられ」「伝承によると、相賀入道の婿の彦四郎は小高氏の軍勢と戦い討死し、また相賀城最後の城主手賀三郎四郎は佐竹氏に攻められ滅亡したと言われています。
現地説明板より
相賀城主菩提寺、龍翔寺の西側に城址は有り、現在は主郭は八幡神社になっている。


相賀城概念図完成@ヤマシロ
相賀城概念図・・・イメ-ジ図です(・Д・)ノ


相賀城 堀
相賀城 堀


相賀城 城址碑
現地説明板 郭4北側



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神明城 茨城県行方市

神明城概念図完成@ヤマシロ


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小高城 茨城県行方市

小高城概念図完成@ヤマシロ




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山田城 北側に見所有

山田城 







山田城は、中世にこの辺り一帯を支配した山田氏の城である。戦国時代山田氏は、山田城を中心として古館、前館、古屋敷といった出城を構え、また周辺の繁盛(前原)館、中根館、大崎館などにも一族を配して、城郭ネットワークを構築していた。
 『行方軍記後世鑑』という軍記物には、「天慶3年(940)伊予の藤原純友は六孫王源経基に討滅ぼされたが、武州埼玉郡の山田美濃守はその子孫で、長元元年(1028)源義家の軍に参じ武功を樹てた。寛治元年(1087)再び養家に従がい清原武衝、家衛を滅ぼした。行方郡山田郷を領したのは、山田太郎幹国である。その後胤が山田八郎で山田館主と成った。」というようなことがあるという。(「重要遺跡報告書」)
この城の遺構は、南側の郭よりも西側から北側にかけた堀が最大の見所となる。



山田城 羽黒神社
山田城 櫓台 羽黒神社



_山田城 堀
山田城 北側横堀


山田城概念図改@ヤマシロ
イメ-ジ図になります(・Д・)ノ



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木崎城 ここは武田の城

木崎城





木崎城は常陸武田氏が神明城に変わる居城として築城した。当地の常陸武田氏は1392年、甲斐武田家12代当主信春の子・武田信久が北浦に居城を構えたのが始まりとされている、武田氏発祥云々で言われるひたちなか市の武田氏とは、元の発祥は同である。
木崎城の常陸武田氏は「南方三十三館の仕置き」で謀殺され、滅亡しました。木崎城も程なくして廃城になったものと思われる。



木崎城
R354からの案内板


木崎城 堀
南側の大堀( ゚Д゚)


木崎城概念図@ヤマシロ




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神明城 ここにも武田の里

神明城






神明城概念図完成@ヤマシロ




甲斐武田家12代当主信春の子・武田信久が北浦に居城を構え当地の常陸武田氏が起こりますが、その最初に居を構えた場所というのがここ、神明城であったと考えらる。後に居城を移す木崎城とは2kmくらいしか離れておらず、神明城からも木崎城は近い。

現在の城址は、基本耕作地となっており又堀は埋没しているが確認することは可能!!


神明城 主郭堀
神明城 主郭堀跡


神明城 神明神社
神明城 神明神社




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