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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

白方城 強大な敵、佐竹氏に立ち向かい・・・・

世の中が平家から源氏に移りゆく時期、平家に味方した佐竹氏は源頼朝に攻められて花園まで逃亡したが、その後頼朝に帰属し再び勢力を盛り返した。水戸の吉田氏はこの間の佐竹氏の弱体期を狙い、息子たちを常陸の海岸に進出させた。その最先端が次男に任せた白方城である。以後最後の城主小奈良氏が滅びるまでの300年弱、10代位の藩主が統治したと思われる。この間、鹿島大使を二度も務めており、裕福であったとことがわかる。その...

真崎城 行ってびっくり!!綺麗でした(@_@)

真崎城鎌倉末期の弘安年間(1278-1287)に、佐竹5代義重の三男義澄の子の義連が築城、地名をとって真崎三郎義連と称した。廃城は、慶長7(1602)年、14代真崎兵庫介宣弘の時代で、佐竹氏とともに秋田に移ったことによる。色々な方のサイトを参考に、すると藪が凄いとの情報が有り・・・・・・実際に行ってみると、見事に藪が刈られ遺構を堪能する事が出来ました堀切3ここから郭3へと探索へ郭3、藪が有りません(^^)郭2の土塁堀切2郭1...

石神城 整備された城址公園に見事な遺構!!

石神城石神城(いしがみじょう)は中世(ちゅうせい)においては佐都西郡石神郷(さとにしぐんいしがみごう)に位置し、東には蛇行(だこう)した久慈川(くじがわ)が流れ、南北を深い谷地(たにち)に挟まれた要害(ようがい)の地に造られていました。この城が歴史に登場したのが永享四年(一四三二)の石神城合戦(いしがみじょうかっせん)の時ですが、小野崎越前三郎(おのざきえちぜんさぶろう)が城方(しろかた)を攻めて...

常陸太田城~佐竹氏居城

現在の茨城県常陸太田市に位置し、JR常陸太田駅から北方へ約1.7kmの高台(現在の太田小学校)に本郭が存在したとみられる。関東七名城の一つ。別名:佐竹城、舞鶴城、青龍城。この城の起源は明らかではないが、天仁2年(1109年)に藤原通延(藤原秀郷の四世)が、下野国から太田郷に入り、太田大夫と称して築城したのが始まりであるという。さらに、新羅三郎義光の孫・源昌義が後三年の役(1051年から1062年)の功により領有するこ...

武田氏館~甲斐武田氏の祖

ひたちなか市武田は,戦国時代の名将武田信玄で知られる甲斐武田氏の発祥の地です。平安時代末期(12世紀初め頃),源義家の弟義光は常陸国への進出を図り, 長男義業(よしなり)を久慈郡佐竹郷(常陸太田市)に,三男義清を当地,那賀郡武田郷に土着させました。義清は地名をとって武田を名乗り武田氏の始祖となりました。義清とその子清光は,武田郷周辺の古くからの豪族との間で勢力を張りあっていましたが,その行き過ぎた行...

藤沢城 小曾戸氏(島津)の居城

比高20mの山頂部に本郭を設け、南、東、北側にかけて空堀が見られ遺構は良好に残り、麓には小曾戸氏の居館跡が残る。永正年間(1504~21)に小曾戸丹後守親治が築城したと言われています。小曾戸氏は源頼朝の流れをくむ島津氏の子孫で、親治の6代前にあたる島津大隅守盛忠は戦功により大芦城(龍階城のことか)を与えられ下野国に入ります。しかし、鹿沼氏との争いに敗れ城を失い、佐野有綱の下に逃れます。盛忠の曾祖父...

金沢城 前田百万石の居城

金沢城 1金沢城 2天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。慶長7(1602)年、落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されず、本丸には三階櫓と二...

滝の城 北条氏照の支城

滝の城柳瀬の城地区にある城跡で、台地の縁辺部を利用した多郭式平山城です。土塁・堀・櫓台が残り、本郭・二の郭・三の郭の内郭とそれらを囲む外郭で構成されています。内郭は大石氏が築造、北条氏と関係深い「障子堀(畝堀)」を確認したことから、外郭は後世に北条氏によって拡張されたと推測されます。 戦国時代には、多摩西部と北関東の諸城を結ぶ「伝えの城」として重要な役割を担っていたようですが、天正18年(1590年)豊...