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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

沼田藩邸~沼田城廃城後の・・・・

沼田藩~真田氏が改易に伴い、沼田城は破却されました。
天領の後、徳川譜代の本多、黒田、土岐氏が幕末迄続きましたが本格的な城の再建はされなかったと思われます。

沼田城三の丸に位置する場所に藩邸を再建されました。


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旧沼田城のジオラマ~奥の旗の手前が藩邸跡



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沼田藩邸~沼田城と藩邸(旧土岐氏住宅内に展示)



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旧沼田城ニノ郭から見た藩邸跡(奥の林向こう側が跡地)


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沼田藩邸~沼田城と藩邸(旧土岐氏住宅内に展示)

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塩原太助翁の生誕の地~群馬県みなかみ 2016.8.27

原太助は寛保3年に下新田宿で生まれ、19歳の時に江戸に奉公に出ました。山口家に23年間奉公中に湯島無縁坂の改修や渋茶の接待所の開設、天神峠に常夜燈の建立などの偉業を行い、本所に独立した後は豪商として名を馳せました。後に「本所にすぎたるものが2つあり津軽大名、炭屋塩原」と云われるほど巨万の富を築いたとされます。文化13年8月14日没、享年74歳。



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愛馬、あおとの別れの一場面



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塩原太助資料館



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塩原太助翁記念公園



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塩原太助神社


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塩原太助生家


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諏訪の木館~群馬県みなかみ町 2016.8.27

但馬院の境内は古くは"諏訪の木城"と呼ばれた平城で関但馬守が支配していました。戦国時代、上杉氏の関東侵攻により諏訪の木城は落城、当時の城主関義範の子義全は命は助けられ剃髪し当寺を開山しました。その後は11世不可得尊師、12世南寿法印薫山などの名僧を輩出しています。境内には安永7年に建立され、宿場の火事を防いだという伝説を持つ"火伏せ地蔵"が安置されています。沼田横堂三十三観音霊場第八番札所。



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諏訪の木城と但馬院の縁起



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但馬院~諏訪の木館



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上州沼田城~小田原征伐のきっかけの地!!

上州沼田城~小田原征伐のきっかけの地!!






2016年8月27日(土) 真田丸展に誘われ再々度沼田を、訪れました、詳細はデジブックを御覧下さい


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沼田城・鐘楼



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真田信之と小松姫



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旧土岐家住宅・洋館



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沼田城大手門跡



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諏訪の木館跡 みなかみ町

滝尾山城 再登城 2016.8.21

滝尾山城 再登城 2016.8.21






皆川氏家臣高木讃岐規衡がこの地に居住。
佐野氏家臣赤見内蔵介広孝が高木讃岐規衡の要請により入城、南摩氏を称す、その後天正4年(1576)秀村の時城が完成するが、壬生上総介義雄に攻められ、壬生氏家臣一色右衛門が入城し壬生氏の滅亡と共に廃城。 遺構の残存状態は良好です。



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城址入り口~招魂社



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主郭北側の堀切



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詰城の主郭部


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伝説の鏡岩


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詰城、郭4の横堀




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加園城 2016.8.21

加園城 2016.8.21





天文20年(1551)渡辺右衛門尉綱重が築城したと伝えられる。
渡辺氏は代々宇都宮氏の重臣だったと言われるが、壬生氏や皆川氏の家臣になったりもしたらしい。
遺構の残存状態は南の一部以外良好。



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加園城遠景



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城址看板~ニノ郭



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加園城向かいの支城独鈷山城~加園城と連携した城、 採石の為消滅




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下沢城・下沢館~久しぶりの鹿沼の山城





下沢城@樋口山城守与六
㊟イメ-ジ図になります





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下沢城遠景 麓の砂防ダムからの急登のハイキングコ-スになります


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下沢城=背戸山 山頂をピ-クで奥に向かい遺構が広がります


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下沢城麓の下沢館 遠目からも土塁が見えます


この下沢城は、二股山のハイキングコ-ス内に有り迷う事なく行ける山城です。
詳細な歴史については不明

2016.8.20

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古城巡り 写真館 城館リスト

羽生城イメ-ジ図刻印入

かつて日本には5万とも6万とも云われる城が存在したと言われる。実際にはただ柵で囲われただけの砦のようなものもあり、文書に残っているのみでその存在が証されたのではないものも含まれるが、それでも相当数存在していたことは確かだ。しかし、数多くの戦や藩主の転封の度に廃城になったり破却されたりとその数は次第に減っていき、江戸後期にはその総数およそ200(天守)。さらにその後の明治維新の廃城令や戦争、火災、天災を免れて現在もその姿を残しているのは12城(現存天守)しかない。それ以外の現在見られる城は戦後新たに再建復興されたもの。古くに廃城になったものは、現在では打ち捨てさられ忘れられ、その城跡すらもただの野山と見分けがつかないようなものも多いのだ。天守や城郭が往時のまま現存しているのは丸岡城犬山城松本城彦根城松江城高梁城(備中松山城)、丸亀城、姫路城松山城、高知城、宇和島城弘前城12城
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真壁城2016改~国史跡指定

真壁城2016改





真壁駅跡の東に位置し、加波山系の足尾山西麓にある台地上に築かれた連郭式の平城である。また、古代の真壁郡家が存在したとも言われ、真壁郡の中心地に位置していた。

西に本丸を同心円状に囲む二ノ丸があるほか、二ノ丸の東側に三の郭(中城)・四の郭(外郭)が続き、外郭南東端には鹿島神社が祭られている。

築城は承安2年(1172年)と伝わる。大掾直幹の子・長幹が真壁郡に入って真壁氏を名乗り、郡家の場所に築城した。以来真壁氏の居城として続いた。

文献上で真壁城が初出するのは興国2年(1341年)12月で、北畠親房の「御方城々」として、真壁城がみえ、南朝方の城であった。のち北朝方に立場を変え、真壁氏は地頭職を有している。応永30年(1423年)、真壁慶幹のとき小栗満重の乱に小栗方で参加したため足利持氏軍によって落城したが、その後の混乱の中で慶幹の従兄弟・朝幹が真壁に復権した。

17代久幹のときに次男義幹が柿岡城に分家し、18代氏幹に至って甥の柿岡城主房幹(義幹の子)に家督を譲ったため、真壁城は真壁本家の城ではなくなった。その後、慶長7年(1602年)佐竹氏の秋田転封の際、佐竹氏の家臣団化していた真壁氏も出羽角館へ移住し、真壁城は空城となった。そののち慶長11年(1606年)浅野長政が隠居料として真壁藩5万石を与えられ、同16年(1611年)に長政の跡を継いで真壁城に浅野長重が入城した。 元和8年(1622年)、浅野長重は加増され、真壁は領有し続けるものの常陸笠間城へ移動となり、真壁城は廃城となった。

城門のうち薬医門が各々一棟、楽法寺黒門(旧大和村)・個人宅表門(旧協和町)として移築され現存している。縄張り全体では保存状態は良好だが、本丸跡には旧真壁町立体育館があり、二の丸跡には体育館建設での残土が盛られているなど中枢部の保存状態は良くない。 昭和9年(1934年)以来、本丸の一部が茨城県指定史跡となっていたが、平成6年(1994年)に国の史跡に指定された。

『ウィキペディア』より


真壁城城址碑
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本丸現地説明板
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本丸堀跡
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三ノ郭堀跡
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真壁城縄張り図
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