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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

古城巡り 茨城県水戸市 城館 ・祝 国史跡指定~西山御殿(西山荘)

水戸市・祝 国史跡指定~西山御殿(西山荘)今年初の計5回目のショ-ケス作品に選ばれました。五年連続です!(^^)!今回は、水戸市の城館と西山御殿(西山荘)を梅雨の時期の雨の止んだ合間にて撮影しました日々精進し、今週のピカイチ作品を狙います!!にほんブログ村...

長者山城~義家に滅ぼされた一盛長者

一盛長者屋敷伝ニノ郭の土塁主郭前の堀、土塁突き当り奥が主郭八幡太郎の通称で知られる源義家が、後三年の役(一〇八三〜一〇八七年)のとき、十万余の大軍を率いて奥州に向かう途中に、その長者屋敷に立ち寄りました。長者は、すぐさま山のようなごちそうと酒を用意して義家一行を手厚くもてなし、その酒宴は三日三晩も続きました。義家が奥州を平定しての帰り道、再び一盛長者の屋敷に立ち寄ると、前にもまして豪華なもてなしを受...

加倉井氏館~民家裏手の見事な土塁、堀

妙徳寺山門脇に館碑がある妙徳寺本堂裏手から民家の裏手に残る土塁、堀館跡とされる、妙徳寺全景加倉井山妙徳寺の境内から東に広がる、東西220m、南北110mのやや不規則な長方形をなしています。現在の遺構から、二重の土塁と一本の空堀に囲まれた、戦国時代後期の様式の館式平城(かんしきひらじろ)と考えられます。現在、妙徳寺の山門の前にある溝は館址の南限の空堀または水濠の名残です。 妙徳寺は、鎌倉時代の永仁元年(1293...

加倉井忠光館~綺麗な土塁が残る

表門には桝形が残る成沢の交差点から見た館内県道51号線側の土塁加倉井当主代13世”加倉井忠光源三郎淡路守”が、享禄3年(1531年)に江戸忠通より成沢の館を賜ったのが最初と云われる。その後、天文17年(1549年)に起こった”大部平の戦”に将として加わったそうである。天正12年没。 そして天正18年の、佐竹さんによる水戸城攻略にて加倉井氏は撃退されたが、その後徳川に仕官して成沢を安堵され、庄屋として存続した...

西山御殿(西山荘)~祝・国史跡指定

西山御殿跡(西山荘)は、水戸藩2代藩主徳川光圀(みつくに)が隠居した後に居住した邸宅跡で、関東平野最北の谷津の最深部付近に位置しています。 光圀は寛文元年(1661)に藩主となり、『大日本史』の編纂を始めたことで知られています。元禄3年(1690)に隠居を許され、その後この地に移り住み,茅葺に土壁の簡素な建物に居住しました。郷の入口に架けた橋を自ら「桃源橋」(とうげんきょう)と名付けたことからも、光圀がここ...

久米城~佐竹氏拡張した城 2016.6.25 初登城

久米城 ①久米城 ②現地説明板(駐車場完備)東城~本城の堀切東城のニノ郭東城の本城(主郭)麓から見た久米城鎌倉時代に大掾氏が館を設け居住したと伝えられている。後に小野崎氏が築城して久米氏を名のり代々居城としていたが、3代目の通室に子がなく,小貫頼重の子定春を養子に迎え通治と称した。第15代佐竹義治は山入城の山人氏の反乱に備えて,小野崎系の久米氏を部垂城へ移し、義治の子義武を城主として久米氏を名のらせ防...

菖蒲&紫陽花2016

菖蒲&紫陽花2016久喜市の菖蒲城址あやめ公園と加須市の玉敷公園の紫陽花の散策に行ってまいりました。菖蒲城址あやめ公園玉敷公園にほんブログ村...

満勝寺・・・・遺構消滅((+_+))!!

北新波砦のすぐ南側に満勝寺が在り、北新波砦同様に土塁と堀で防御されていました。歴史的詳細は不明ですが、北新波砦との関係が深いと思われます。問題は、その満勝寺裏手に土塁、堀跡が本堂建て替えの為石碑共に消滅していました。北新波砦南側の群馬県、高崎市教育委員会設置の説明板にも満勝寺の存在を示しています。恐らくは史跡指定までは、されていなかったのではと思います、しかし残念でした((+_+))2011年3月撮影 満勝寺...

古城巡り 長野氏 城館&墓所 2016.6.12

長野氏 城館&墓所原城 高崎市上室田町3024土着の豪族長壁氏が斉藤道山の子孫斉藤半兵衛竜政と築いた城とされる、巨大な堀に細長い郭で東側には中屋敷の地名が残るが詳細については不明な部分がある。又向かいの西側には雨堤の砦が有り、中屋敷からこちらの砦に動いたとされるが詳細は不明!斉藤氏の砦跡とされるが詳細は不明長年寺 高崎市下室田町鷹留城主長野氏の菩提寺下室田町の長年寺は、鷹留城主長野氏の菩提寺として知ら...

鷹留城~旧長野氏の本城 2016.6.12改

鷹留城群馬県高崎市下室田町にある中規模な日本の城(山城跡)の典型で、箕輪城の西方5キロにある箕輪城の支城の一つ。各種遺構が原形に近く残っている点で、群馬県内でも稀な史跡である。高崎市指定史跡に指定されている。鷹留城は、 明応年間(1500年頃)、当地を支配する長野尚業によって築かれた山城である。長野尚業の子、憲業が本拠を1512年(永正9年)に築かれた箕輪城に移すまでの間、長野氏の本拠であった。その後も1566...

箕輪城~長野氏の居城~現在の遺構は?改

箕輪城 2016.6.12箕輪城は榛名山東南麓の丘陵上を中心に、北東と南西の平地部を含んだ戦国時代の平山城(ひらやまじろ)です。東西約500メートル、南北約1,100メートル、面積約36ヘクタール(史跡面積=約19ヘクタール)におよぶ西上野(にしこうずけ)の中核的な城郭です。北西から南東方向にのびる尾根上に主要な曲輪(くるわ)を直線的に配置し、さらにこれを核にして多数の曲輪を線対称状に配置しています。これらの曲輪を区...

群馬県安中市 安中 城館巡り 2016.6.11

安中 城館巡り 2016.6.11安中の内出砦 安中市4-9-3安中城の出城として機能していたのか?詳細については不明・・・・・・・・安中城 安中市安中3-10-441559年(永禄2)に、甲斐の武田信玄の西上野進出に備えるため、安中忠政によって築かれた。同城築城後、嫡子忠成を城将とし、忠政自身は松井田城を強化して信玄に備えた。1561年(永禄4)、信玄は安中城と松井田城の中間に陣城を築いて両城を分断し、1564年(永禄7)には両城...

群馬県安中市 磯部 城館巡り 2016.6.11

磯部 城館巡り磯部城 安中市磯部鎌倉御家人の佐々木盛綱によって築かれたといわれています。戦国時代には武田信玄によって改修され、西上野の「繋ぎの城」として利用されたと考えられています。また武田氏滅亡後は北条氏によって接収されたと思われますが詳細は不明です。現在は城山公園として整備されており、土塁や堀などの遺構が残っています。・・・・・・ただ一年中、公園には下草が!!中野谷陣屋 安中市中野谷遺構と思わ...

群馬県安中市 原市 城館巡り 2016.6.11

安中市 原市 城館巡り榎下城 久昌寺  群馬県安中市原市2989榎下城(別名/鶴巻城)は大永5年(1525)松井田小屋城よりこの地に来た安中伊賀守忠清が築き、忠清の子忠政が永禄2年(1559)安中城を築いて移るまで、安中氏の拠点。原市東館  群馬県安中市原市2575-6詳細は不明であるが、奥の雑木林の中に堀が残る。原市城:簗瀬城  群馬県安中市簗瀬648-5城主等、歴史については未詳である。地元豪族の居館であったものであ...

藤橋城 今井城~初登城 2016.6.5

藤橋城 今井城藤橋城~青梅市史跡指定 現地案内板によると、『武蔵名所図会』からの引用として以下のようなことが記されている。藤橋城は平山越前守虎吉の住居である。平山氏は北条氏照に仕えた人物であった。近隣には平山右衛門大夫や岡伊賀守が城主であった檜原城、また平井村・大久野村辺りが平山氏の領有地区であったことから、藤橋城の平山越前守も、この平山氏の一族であったと考えられる。現在は、公園として整備され見学...