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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

登城記録2016年

2016年登城記録&史跡巡り1月9日(土) 東京都八王子市 浄福寺城 小野田城 八王子城~太鼓曲輪2月21日(日) 栃木県 唐沢山城 皆川城 大平山城2月28日(日) 群馬県太田市 金山城~北城・八王子ノ砦3月5日(土) 茨城県 逆井城 大鳥城 駒寄城3月6日(日) 埼玉県 小倉城4月10日(日) 群馬県 富岡市 神成城 宮崎城 大山城 甘楽 国峰城 麻場城 小幡陣屋4月16日(土) 栃木県 小山城 鷲...

五大力堂~茨城県桜川市

五大力堂五大力堂は平安時代、平将門の乱の際、俵藤汰藤原秀郷が霊像5体を安置して将門討伐を祈ったが、討伐後は将門の善心を知り霊を慰めたたと言われています。国を守護する大力のある【金剛吼】 【龍王吼】 【無畏十力吼】 【雷電吼】 【無量力吼】の五大力像は檜財の寄木造りとなっている。御堂を覗いたが・・・・・中は空っぽにて、月山寺美術館にて特別展示中だそうです( ゚Д゚)又この五大力堂の下の方の大地は、【池亀城...

橋本城~2016.5.29 初登城

橋本城城址麓の爪黒神社~ここからスタ-ト切通の突き当りの城址標柱~ここから本格的遺構!!主郭前の堀切城址最南端の堀切・・・・ここで猪との遭遇( ゚Д゚)麓の爪黒神社鳥居の右手から城内へ、進んで行くと切通(堀底?)を突き当りまで進むと朽ち果てそうな!!標柱が有りそこから本格的な遺構を見る事が出来る!!築城年代は定かではないが南北朝時代に谷中豊前守将国が築いたとも云われる、又麓の爪黒神社の略記の石碑に城址の...

羽黒山城~参道の急登を登れば・・・・( ゚Д゚)

羽黒山城 初登城 2016.5.29羽黒山城入口~羽黒神社鳥居主郭~羽黒神社羽黒山城~大堀切詳細不明。一説に南北朝時代の創築と云われ、常陸国司春日顕国が城主で南朝方の城であったともいわれる。羽黒神社参道を登り切れば、最初に堀切の遺構が見えて又立ち木の間からの展望が素晴らしい。若干の藪は在るが、各郭の遺構の状態は良好だと言える、主郭には羽黒神社が建ち土塁を石垣で補強されている又主郭を先に進めばこの城最大の大...

鷹留城~長野氏の居城

鷹留城鷹留城(たかとめじょう)は、群馬県高崎市下室田町にある中規模な日本の城(山城跡)の典型で、箕輪城の西方5キロにある箕輪城の支城の一つ。各種遺構が原形に近く残っている点で、群馬県内でも稀な史跡である。高崎市指定史跡に指定されている 明応年間(1500年頃)、当地を支配する長野尚業によって築かれた山城である。長野尚業の子、憲業が本拠を1512年(永正9年)に築かれた箕輪城に移すまでの間、長野氏の本拠であっ...

足利史跡を巡る!! 鑁阿寺・足利学校

足利史跡を巡る!!鑁阿寺鑁阿寺は、鎌倉時代、建久七年(1197年)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山。山号は金剛山。本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来(だいにちにょらい)を祀る。 約4万平方メートルに及ぶ敷地は、元々は足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されている。またこの事から「史跡足利氏宅跡」として、大...

古城岩櫃を巡る~大河ドラマ【眞田丸】

古城岩櫃を巡る大河ドラマ【眞田丸】の舞台、岩櫃を巡ったダイジェスト版です。にほんブログ村...

岩櫃城~真田氏による大改修!!

岩櫃城 再々登城2016.5.22岩櫃城② 再々登城 2016.5.22岩櫃山の北東に伸びる尾根に位置し、吾妻川の西岸にあたる。また、西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面、北は岩山で天然の要害となっている。尾根の西から本丸・二ノ丸・中城などが続き、北東に出丸の「天狗丸」がある。その更に北東には支城・柳沢城(観音山城)が位置している。 北方の盆地には、東の吾妻街道から渓谷沿いの隘路でのみ繋がる平沢地区があり、岩櫃城は天狗...

潜竜院跡・郷原城~武田家再起の・・・・・

潜竜院跡・郷原城潜龍院跡織田・徳川連合軍による甲州征伐時、真田昌幸様が主君・武田勝頼公に退却を進め、名門武田の家運を挽回しようとしたのが「岩櫃城」。結果、勝頼公は岩櫃には入らず、天目山で自害してしまうが、昌幸様が勝頼公を迎えるために3日間で建てたといわれる館城が、古谷御殿。そこに潜龍院(せんりゅういん)という寺があったため、この地を「潜龍院跡」と呼んでいる(東吾妻町郷原古谷地区)。絶壁の岩櫃山の眼...

上州古城を巡る2016.5

上州古城を巡る 2016年大河ドラマ「真田丸」がスタ-トしましたので、上州の真田VS北条関係の城を巡ったダイジェスト版です。眞田の六文銭長井坂城中山城名胡桃城小川城沼田城にほんブログ村...

世良田東照宮 & 勾当内侍の墓

世良田東照宮徳川家康公の先祖は、新田氏の始祖である義重から新田荘の内、当地「世良田」 他5カ郷を譲り受けた子の義季である。義季は5カ郷内にある利根川沿いの押切を徳川と改称し、 徳川義季と称した。承久3年(1221)世良田郷を開発した義季は臨済宗長楽寺を開基し、世良田の義季とも称された。寛元4年(1246)頃、亡くなり同寺境内に葬られた。その後、頼氏・教氏・家時・満義と後継。 次の政義・親季・有親は、南北朝時代...

沼田城~再登城2016.5.14

沼田城沼田城は天文元年(1532)に沼田万鬼斎顕泰が築き、当時は蔵内城と呼ばれていました。天正8年(1580)に真田昌幸が入城し城の規模を広げ、天正18年(1590)に昌幸の長男信幸(之)が沼田領二万七千石の初代城主となり、慶長2年には五層の天守を建造しました。  その後5代91年間の真田氏の居城となりましたが、天和元年(1681)、5代信利が江戸幕府に領地を没収され、翌年1月に沼田城は幕府の命により完全に破却、その後天守が再建さ...

小川城~真田での大河効果???

小川城小川城は、明応元年に沼田景秋によって築かれた。 景秋は、荘田城主沼田景久の次男でこの地を分知され小川氏を称した。 小川氏は4代続き沼田氏の北の守りを果たすが、大永4年に4代景奥が討死して小川氏は断絶する。  その後、上杉謙信の裁可により赤松祐正が小川氏の名跡を継ぎ小川可遊斎となった。 天正9年、可遊斎は真田昌幸に従い北条勢と戦うが敗れ越後へと敗走、替わって城代となった北能登守は、真田氏に仕え...

名胡桃城~再々登城、大河ドラマ効果絶大!!

名胡桃城名胡桃城は、利根川と赤谷川の合流地点の東西の右岸の段丘上に築城された城で、史料によれば、天正7年利根に進行した真田昌幸によって現在の城址に築城されたとされています。 発掘により、名胡桃城址の般若郭に古い居館の址が明らかになり、掘っ建て柱による建物20ケ所が確認され、名胡桃氏(沼田景久の子 景冬が名胡桃氏を称した)の居館であったと推定されています。 東西を山に囲まれた利根・沼田周辺は、鎌倉時代か...

中山城~後北条氏築城!!

中山城中山城城址碑中山城を東側から主郭に祀られている「城門神」主郭、南側の堀中山城と真田との接点は真田幸隆の時代、平穏無事であった我が村も戦国武将の勢力争いの渦中に入り、時には武田方、時には上杉方となり去就興亡の歴史をたどった。中山城址は北条氏が天正年間に築城し、半折囲郭構造という築造手法をとり、その構造は、本丸を北西南の三方から二の丸が囲み堀切と土居で防禦し、これを西から三の丸が囲む、要害堅固な...