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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

岩槻城~大構を持つ大城郭

岩槻城従来、扇谷上杉氏重臣の太田道真・太田道灌父子が1457年(長禄1)、古河公方足利成氏を牽制するため江戸城(東京都千代田区)、川越城(河越城、川越市)とともに築城したといわれてきたが、近年、古河公方方の忍城(行田市)の城主成田顕泰の父成田自耕斎正等(じこうさいしょうとう)が、1478年(文明10)に築城したとする史料が見つかった。戦国時代の1522年(大永2)、太田資頼が岩槻城を奪取し、岩槻太田氏の居城となり、...

長井坂城~真下に関越自動車道が通る城

長井坂城長井坂城から見える関越道長井坂城碑と説明板三ノ丸標柱群馬県渋川市(旧赤城村)にあった戦国時代の山城(やまじろ)。利根川沿い比高約200mの断崖絶壁の山上にあった。永禄年間(1558~70)に長尾景虎(のちの上杉謙信)により築城されたといわれる。景虎は1560年(永禄3)に最初の関東出陣を行い、沼田顕泰(あきやす)が城主をつとめていた北条方の沼田城を攻め、顕泰を降伏させたが、その際、この長井坂城のあった場所に...

信州上田~真田の郷を巡る

真田の郷を巡る信州上田城大河ドラマ「真田丸」に併せて、上田は真田の郷を巡りました、ご覧ください真田氏発祥の郷上田藩主屋敷の八重櫻真田丸 大河ドラマ館(上田城 武者溜)長谷寺信綱寺にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村...

真田本城~まさかの登城者の数((+_+))

真田氏本城・真田氏館 真田氏本城この城は真田山城、松尾新城、住連寺城、十林寺の城山などといわれるが、真田氏の本城にふさわしい規模の城であることから、真田町指定文化財史跡名では真田氏本城としており、旧菅平有料道路を、十林字から熊久保へ通ずる道路が横切った北側の、尾根の突端にある。特徴的なこととして、真田町内の他の城跡に比べ、広大な規模をもっていること。眼下に、小県と北上州を結ぶ上州道を一望におさめる...

上田城~二度も徳川を撃退した城郭

上田城 2016.4.23上田盆地の北部に位置し、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」と呼ばれることもあった。北に太郎山、南に千曲川があり、築城前は土豪小泉氏の古い城館が存在した(現在、二の丸より西側の小泉曲輪と呼ばれている場所)と伝えられる。城の南側は千曲川に接し、北側と西側に矢出沢川を引き込み総構えとし、唯一の攻め口である東側にも蛭沢川や湿地帯などがある。上田城は、信濃国小県...

信州上田~真田氏の礎

真田氏の墓所信州上田の、真田幸隆から始まる上田は真田の郷を去る迄の礎となった真田家の墓所を巡りましたにほんブログ村...

上州小幡氏を巡る!!

先週の日曜日に、城仲間と群馬は小幡氏関連の城巡りをしてきました。富岡の神成城、宮崎城は今回初の登城で、神成城のハイキングコ-スに入る場所の中学校が宮崎城で遺構は・・・・・・・・・・???発掘調査では確認されているそうですが(グランド部分)校舎側は建物が建ちもう確認のしようがないでしょう。校舎の裏手に、かろうじて土塁と堀が残りここに城が在った事を示しています。この土塁と堀の側にハイキングコ-スが通り...

粟原城2020 埼玉県久喜市

粟原城 Googlesaさんより当時は、戦国時代の真っただ中にあり、相模国(神奈川県)の北条氏康・氏政、甲斐国(山梨県)の武田信玄、越後国(新潟県)の上杉謙信ら戦国大名が激しい抗争を繰り広げていました。元亀2年(1571)には、武田信玄が北条氏領国へ侵攻し、久喜周辺にも行軍しています。また、元亀3年(1572)から翌年にかけては、北条氏政が上杉側の羽生城(羽生市)、関宿城(千葉県野田市)等の拠点を攻撃し、救援のた...

花崎城改2016 粟原城の支城

花崎城改2016 花崎城(はなさきじょう)は今日の久喜市の粟原城の支城として築城されたと考えられている。長尾景虎(上杉謙信)の小田原攻めの時に、家臣の木戸宮内少輔に花崎城を攻めさせたことが記録にある。このとき、城主の細萱民部少輔は小田原城に参陣していたので、幼少の細萱泰秀が守っていたが花崎城、粟原城とも落城した。現在の花崎城公園化される以前の花崎城(説明板より)大きい地図・ルート検索  ( powered by ...

鷲城 祇園城と共に国史跡指定

鷲城鷲城も小山城と同じように築城時期や築城者は明らかではありませんが、応安5年(1372年)年に小山義政は武蔵国太田荘の鷲宮を修築しており、この神を本城に勧進して鷲城と名づけたということですから、この頃鷲城が成立したものと考えられています。鷲城跡(国史跡)は、小山市街地の南西に位置し、長い参道を歩いていくと鷲神社があります。神社を中心とした緑地帯などが鷲城跡の見どころとなっています。城の北と西側は...

祇園城2016改 小山氏の居城

祇園城小山城趾(国史跡)は、現在は城山公園として市民に親しまれており、空堀や土塁のあとが残されています。小山城の築城については、その年代や築城者は明らかではありませんが、藤原秀郷の子孫、大田政光が、1148年に小山氏を名のり、この城を築いたのが始まりであると言われています。小山氏は、源平合戦、南北朝の戦乱で武将として名をあげ、領地を拡大しました。南北朝時代末期には21代の義政が、鎌倉公方足利氏満の...

小山氏 史跡を巡る

小山氏 史跡を巡る小山氏菩提寺 天翁院祇園城 小山氏の居城鷲神社 鷲城須賀神社 小山朝政、小山義政の碑小山朝政供養塔 徳性寺~小山朝政開基にほんブログ村...

鷲宮神社~関東最古の大社

鷲宮神社神代の昔、天穂日命が東国を経営するために武蔵国に到着し天穂日命のお供の出雲族27人の部族と地元の部族が当地の鎮守として大己貴命を祀ったのに始まると伝える。その後、日本武尊の東国平定の際、別宮を建てて天穂日命と御子神の武夷鳥命を祀ったという。ただし、これらのことは『延喜式神名帳』や『国史』に記載がない。また別名を土師の宮(はにしのみや)とも言われ、一説には崇神天皇の時代に河内国から東国へ移住し...

粕尾城~小山義政終焉の地!!

粕尾城~寺窪城・櫃沢城寺窪城・櫃沢城~総称粕尾城粕尾城~寺窪城からの展望ホタルの里から見た、寺窪城櫃沢城~小山義政自刃の標柱・五輪塔鎌倉幕府の有力御家人であった。特に十一代当主である小山義政は新田義宗の討伐に参加するなど、室町幕府創設の功があり「下野国守護」に任ぜられた。[小山政光 - 朝政 - 朝長 - 長村 - 時長 - 宗長 - 貞朝 - 秀朝 - 朝郷 - 氏政 -[小山義政 ]  順次勢力を増し、宇都宮氏との間に覇権...

小山芳姫終焉の地

小山芳姫終焉の地小山芳姫の墓 星野遺跡 小山芳姫御堂夫の元にたどり着けなかった悲劇の姫星野遺跡を抜けて寒沢の渓流沿いに林道をたどると、しばらくして、南北朝期の武将で下野の守護であった小山義政の正室よし姫の墓があります。善政は鎌倉公方足利氏満に叛き粕尾城(現粟野町中粕尾)に籠ったが、戦いに敗れて赤石河原で自刃しました。よし姫は夫義政のあとを追い、大越路峠を越えて粕尾に行くため、侍女一人を伴って星野の...