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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

天神山城~廃墟の模擬天守

天神山城

埼玉県長瀞町



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天神山城は山内上杉氏の重臣である藤田重利(康邦)によって築かれた城です。北条氏に降伏したあとは北条氏康の四男である氏邦に娘を娶らせ、藤田氏の家督を譲るとともに、この城も譲り渡しました。氏邦はその後、鉢形城に居城を移しますが、以降も支城として使われたといわれています。1970年(昭和45年)に観光目的として模擬天守と模擬二重櫓が建てられましたが採算あわず倒産し、現在は廃墟となっています。そのため城好きよりも廃墟マニアの訪問が多いようです。

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小栗城~小栗上野介の祖・・・

小栗城

茨城県筑西市小栗



小栗城、麓の内外大神宮前よりの遠望



小栗城入口



現地説明板の縄張り図


東側に北の小貝川に向かいのびる堀切「境堀」



小栗城本丸



平重家は地名の小栗を称して小栗氏となり、その子孫は15代まで300年余の間、栄枯盛衰の歴史の中にこの地方を統治した。14代城主小栗孫次郎平満重は、室町時代の応永30(1423)年8月2日、関東公方足利利持氏との激戦で敗れ小栗城は落城した。小栗助重は、一族の小栗貞重の元に落ちのびた後10余年を経嘉吉元年(1441)の結城合戦に、幕府軍の将として大活躍をし、論功により再び小栗城に復した。建武3年(1336)には歴史に登場、小栗判官伝説の元。                             参考文献:現地案内板
城址入口には、見事な城址碑と説明板が建ち迷うことなく探索が出来る。大規模な堀と土塁に各郭が良好に残る

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小谷城~清水谷に家臣団屋敷を配した根小屋

小谷城

清水谷家臣団屋敷

滋賀県長浜市





小谷城

清水谷



日本五大山城の一つに数えられる。標高約495m小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれ、浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られることが多い城である。

戦国大名浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られたが、元亀・天正の騒乱の中で4年間織田信長に攻められ落城した。その後、北近江の拠点は長浜城に移されたために廃城となった。現在は土塁・曲輪などのほか、先駆的に取り入れられた石垣なども遺構として残っている。国の史跡に指定されている。

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江川代官屋敷・韮山城・山木(平)兼隆屋敷

江川代官跡 韮山城 山木(平)兼隆屋敷



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江川代官屋敷;主屋は解体整備がなされている又大河ドラマ篤姫のロケ地

韮山城;北条早雲の居城で有り、晩年をこの城で過ぎしている

平兼隆屋敷;源頼朝の挙兵の際、最初に討たれた武将の屋敷跡で遺構は宅地
となり消滅

*この史跡は、近距離の中に存在してます。
静岡県伊豆市韮山(江川代官屋敷)

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韮山城砦群~本城を守る砦群!!

韮山城砦群~江川砦~B地区

韮山城砦群 ~天ヶ岳砦~金谷砦(F地区)

韮山城砦群~和田島砦~土手和田砦

韮山城砦群~上山田山付城~本立寺付城




*この江川砦からスタ-トとなる( `ー´)ノ

大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

静岡県伊豆の国市

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江川砦の大堀切



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天ヶ岳砦からの富士山



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本立寺付城を望む



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韮山城の麓からの夕刻の富士山









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石田屋敷~石田三成誕生の地

石田屋敷

滋賀県長浜市石田



三成屋敷

石田屋敷三成

三成が生まれた屋敷跡に立つ石田会館。

「石田三成資料室」には、石田三成像や三成の生涯を描いた絵巻パネルを展示。

その他、鎧やゆかりの古文書に石田屋敷復元ジオラマなど数々の展示物があります。

会館外には、「石田治部少輔出生地」と刻まれた石碑や三成の銅像もある。

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玄番尾城~柴田勝家の陣城

玄番尾城

福井県敦賀市刃根



福井県と滋賀県の県境にある柳ヶ瀬山(標高420m)の頂上にあり、北国街道と刀根越間道との分岐点に位置する。城は、天正十一年(1583)北ノ庄城主・柴田勝家が賤ヶ岳合戦時の本陣として築城される。本城は、尾根上に巧みに配置された4郭構成で、各郭には空堀や土塁で区画されるとともに、土橋や馬出し遺構で繋がっている。本丸は、高さ0.6~2mの土塁で囲まれ、東・南・西の三方には幅約12m×深度6~7mの大規模な空堀が廻らされている。東北隅には礎石を用いた櫓台があったと推測される。築城形態については、本丸の櫓台や有機的に配置された郭、機能的に築造された土塁や幅広く深い空掘、土橋、巧妙につくられた虎口や馬出しなどが具備され、現存する越前、若狭の朝倉氏や武田氏などの山城の中で最も発達した構造を示すものと考えられる。

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鎌刃城

鎌刃城

滋賀県米原市番場

鎌刃入口


鎌刃主郭





番場は古くから東山道(中山道)の要衝に位置しており、鎌倉時代には西遷御家人土肥氏が箕浦荘の地頭に補任されている。土肥氏は番場に居館を構え、その跡は現在「殿屋敷」と呼ばれている。しかし、戦国時代になると番場の領主は土肥氏から堀氏に代わり鎌刃城が築かれた。

『今井軍記』によると文明4年(1472)に今井秀遠が堀次郎左衛門尉の立て籠もる鎌刃城を攻めており、この頃にはすでに堀氏の城として機能していたことが分かる。天文7年(1538)には六角定頼が湖北に侵攻し、鎌刃城、太尾山城、磯山城、佐和山城がことごとく落城している。

『嶋記録』によると当時の鎌刃城主・堀石見は京極高広方に属していたことが知られ、当時の坂田南郡は六角氏と浅井氏の抗争に加え、湖北の守護京極氏政権も維持されているという、複雑に錯綜した地域であったようである。

元亀元年(1570)、浅井長政が織田信長に反旗を翻すが、鎌刃城主・堀秀村は木下藤吉郎の説得によって織田方についた。信長は戦時下の湖北支配を堀氏に任せ、一説には坂田郡で6万石を賜ったといわれている。

秀村の発給した文書は坂田郡にとどまらず、浅井郡内の竹生島や菅浦にまでおよんでいる。こうして鎌刃城は単なる境目の城というだけではなく、戦国武将・堀氏の居城として湖北支配の拠点ともなった。

しかし、『当代記』によると天正3年(1574)に堀氏は突然改易され、これにともない鎌刃城も廃城となったとされる。

米原市教育委員会歴史文化財保護課より

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樺沢城~上杉景勝誕生の地

樺沢城

新潟県魚沼市



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樺沢城は上杉景勝生誕の地と言われています。
上杉謙信(当時景虎)は姉の綾姫(後の仙桃院)を坂戸城主長尾政景に嫁がせました。
樺沢城は春日山城から関東までの最短距離上に位置していたため、長尾政景はここを関東からの情報基地とし、綾御前(後の仙桃院)と共にこの城に居たと言われています。
結婚5年目にして当城で男子が誕生。これが後の上杉景勝です。


長尾政景が亡くなった後、綾御前は仙桃院と号し、この城に住んでいたと言われます。
景勝3歳のとき、上杉謙信の養子となり、元服して喜平冶(顕景)と称しました。
仙桃院のお花畑跡が樺沢城入り口や、城下の龍澤寺にもあり、ゆかり深いことを物語っています。
跡と言っても、石碑や看板が立っているだけではありますが。

樺沢城は御館の乱の際、景虎に呼応して進行してきた北条軍に攻略され、北条軍は坂戸城などへの攻撃の本拠地としていました。まさに激戦の地だったわけです。
御舘の乱で景勝と家督を争って戦った「景虎」は、北条氏康の七男氏秀で、人質として越後に来ていました。
上杉謙信はこの氏秀を気に入り養子とし、自身の青年時代の名前である「景虎」を与えました。
紛らわしいですがそういうことです。

戦(いくさ)のなくなった江戸時代の城とは違い、戦国時代の山城だけあって、道は険しいです。

空堀や帯曲輪がいたるところにあり、戦のための城だったことが伺えます。

三の丸、二の丸、景勝の胞衣(えな)を納めたと伝えられている胞衣塚、そしてソメイヨシノやいかり草、ヤマユリなどの草花が目を楽しませてくれます。
戦いながら登るのはかなりキツイですが、遠足気分で登れば楽しめると思います。
そしていやっと頂上の樺沢城本丸跡に到着。

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豊代館~いざ鎌倉の・・・・・

豊代館

栃木県佐野市豊代



正雲寺地区公民館の北西、約18,000㎡の長方形の敷地に土塁が残されており、築城年代、築城者は不明となっていますが、佐野源左衛門常世の居館であったとされています。

【鉢の木物語について】
今から750年ほど前、ある大雪の日の夕方近くに、佐野源左衛門常世の家を時の執権北条時頼が旅僧姿に身をやつして訪れました。常世夫婦は親切にこの僧をむかえ、暖をとらせるために秘蔵の梅・松・桜の鉢植えを折って火にくべました。時頼はいたく感謝し、その年の秋、軍勢を鎌倉に召集した際にいち早く駆けつけた常世を見つけて、その忠節を賞賛し、下野の36か郷と梅・松・桜にちなんだ土地を与え、6万3千石の大名に取り立てたという謡曲が伝わっています
佐野市hpより

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