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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプPhotをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

天璋院篤姫

 篤姫座像 鹿児島県鶴丸城江戸幕府13代将軍・徳川家定の正室。薩摩藩から徳川家に嫁ぎ、家定没後は天璋院(てんしょういん)と号す。幕府崩壊時の大奥の責任者であった。1836(天保7)年生~83(明治16)年没。薩摩藩主島津氏の一門今和泉家に生まれ、幼名は一子、於一。17歳のとき、藩主島津斉彬(なりあきら)の養女となり、篤姫と改める。徳川家から家定の結婚相手を求められていた島津家が、ふさわしい女子を藩主の子としたので...

西郷隆盛

西郷隆盛公像 鹿児島県西郷家の初代は熊本から鹿児島に移り、鹿児島へ来てからの7代目が父・吉兵衛隆盛、8代目が吉之助隆盛である。次弟は戊辰戦争(北越戦争・新潟県長岡市)で戦死した西郷吉二郎(隆廣)、三弟は明治政府の重鎮西郷従道(通称は信吾、号は竜庵)、四弟は西南戦争で戦死した西郷小兵衛(隆雄、隆武)。大山巌(弥助)は従弟、川村純義(与十郎)も親戚である。薩摩藩の下級武士であったが、藩主の島津斉彬の目に...

織田信長 岐阜駅

天文 20 (1551) 年父信秀が没して家督を相続して以来,一族内部の抗争に奔走,永禄2 (1559) 年には岩倉城の織田信賢を破り,尾張一国を統一,次いで駿河の今川義元を桶狭間で奇襲して敗死させた 。そののち三河の徳川家康と同盟して後顧の憂いを除き,美濃に進出を企て,永禄 10 (1567) 年斎藤龍興を滅ぼして美濃をくだし,稲葉山城を岐阜と改名して,尾張清洲より移った。翌 11年足利義昭を奉じて上洛,義昭を将軍職につけたが,...

山内一豊 郡上八幡城

尾張上4郡守護代織田伊勢守の家老である尾張黒田城主山内盛豊の子。通称は猪右衛門(伊右衛門とも書く)。織田伊勢守家が信長によって滅ぼされたあと,しばらく浪々ののち信長に仕えることになり,元亀1(1570)年の越前金ケ崎城攻め,姉川の戦に従軍する。妻のまつ(千代とも。のち見性院)のへそくりによって名馬を買ったとするエピソードはそのころのことか。ただし,この逸話は良質の史料にはみえない。豊臣秀吉の北近江領有のころから秀...

蒲生氏郷 ひばり野 滋賀県日野町

六角氏の重臣で近江国蒲生郡甘野城主蒲生賢秀の子。幼名鶴千代,忠三郎賦秀。洗礼名レオン。蒲生氏は鎮守府将軍藤原秀郷の後裔。永禄11(1568)年織田信長に降った父賢秀の人質として岐阜に赴き同地で元服。信長は自身の弾正忠の官名の1字を与えて忠三郎賦秀と名づけた。12年信長に従い伊勢に戦い,同年の冬信長の娘を娶り日野に帰城。以後,信長に従軍し,朝倉攻め,小谷城攻め,長島の合戦,長篠の戦,などに参加。本能寺の変のときには,日...

明智光秀 明智長山城

天正3 (1575) 年九州の旧族惟任の称号を与えられ日向守。父は光綱。その前身は判然としないが,美濃の土岐氏の支流といわれ,また美濃明智荘に居住し明智と称したという。初め斎藤氏に仕え,流浪ののち永禄9 (1566) 年織田信長に仕えた。翌年,滝川一益に従い北国征伐に参加し,信長上洛に際しては村井貞勝らとともに京都の政務にあたり,信長の信任を受けた。元亀2 (1571) 年,若狭平定の軍功により,近江坂本城主となり,滋賀郡...