山内一豊 郡上八幡城
尾張上4郡守護代織田伊勢守の家老である尾張黒田城主山内盛豊の子。通称は猪右衛門(伊右衛門とも書く)。織田伊勢守家が信長によって滅ぼされたあと,しばらく浪々ののち信長に仕えることになり,元亀1(1570)年の越前金ケ崎城攻め,姉川の戦に従軍する。妻のまつ(千代とも。のち見性院)のへそくりによって名馬を買ったとするエピソードはそのころのことか。ただし,この逸話は良質の史料にはみえない。豊臣秀吉の北近江領有のころから秀...
蒲生氏郷 ひばり野 滋賀県日野町
六角氏の重臣で近江国蒲生郡甘野城主蒲生賢秀の子。幼名鶴千代,忠三郎賦秀。洗礼名レオン。蒲生氏は鎮守府将軍藤原秀郷の後裔。永禄11(1568)年織田信長に降った父賢秀の人質として岐阜に赴き同地で元服。信長は自身の弾正忠の官名の1字を与えて忠三郎賦秀と名づけた。12年信長に従い伊勢に戦い,同年の冬信長の娘を娶り日野に帰城。以後,信長に従軍し,朝倉攻め,小谷城攻め,長島の合戦,長篠の戦,などに参加。本能寺の変のときには,日...
明智光秀 明智長山城
天正3 (1575) 年九州の旧族惟任の称号を与えられ日向守。父は光綱。その前身は判然としないが,美濃の土岐氏の支流といわれ,また美濃明智荘に居住し明智と称したという。初め斎藤氏に仕え,流浪ののち永禄9 (1566) 年織田信長に仕えた。翌年,滝川一益に従い北国征伐に参加し,信長上洛に際しては村井貞勝らとともに京都の政務にあたり,信長の信任を受けた。元亀2 (1571) 年,若狭平定の軍功により,近江坂本城主となり,滋賀郡...