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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

芳林妙春禅尼 芳林寺 埼玉県さいたま市岩槻区

南畑城主の難波田弾正左衛門尉正直入道善銀の娘と伝えられており、岩槻城主の太田三楽斎資正の正室である。資正の嫡男である太田資房(後の氏資)の母公。後に資正と離縁、永禄10年(1567)3月8日没。 芳林寺開基。人気ブログランキング...

太田氏資 芳林寺

 太田氏資銅像 芳林寺太田道灌の庶流にあたる岩付太田氏の太田資正の子に生まれ(太田道灌の玄孫にあたる)、太田資房(すけふさ)の名で元服した。人生をかけて北条氏康に対抗しようとする父・太田資正が一旦北条家に降伏した際に、氏康の娘を娶った事から北条家に接近する反面、口悪しく吃であるからという理由で資正には嫌われ、父が太田氏の家督を弟(後の梶原政景)に譲ろうとした事から出家してしまう。その後、上杉謙...

天璋院篤姫

 篤姫座像 鹿児島県鶴丸城江戸幕府13代将軍・徳川家定の正室。薩摩藩から徳川家に嫁ぎ、家定没後は天璋院(てんしょういん)と号す。幕府崩壊時の大奥の責任者であった。1836(天保7)年生~83(明治16)年没。薩摩藩主島津氏の一門今和泉家に生まれ、幼名は一子、於一。17歳のとき、藩主島津斉彬(なりあきら)の養女となり、篤姫と改める。徳川家から家定の結婚相手を求められていた島津家が、ふさわしい女子を藩主の子としたので...

西郷隆盛

西郷隆盛公像 鹿児島県西郷家の初代は熊本から鹿児島に移り、鹿児島へ来てからの7代目が父・吉兵衛隆盛、8代目が吉之助隆盛である。次弟は戊辰戦争(北越戦争・新潟県長岡市)で戦死した西郷吉二郎(隆廣)、三弟は明治政府の重鎮西郷従道(通称は信吾、号は竜庵)、四弟は西南戦争で戦死した西郷小兵衛(隆雄、隆武)。大山巌(弥助)は従弟、川村純義(与十郎)も親戚である。薩摩藩の下級武士であったが、藩主の島津斉彬の目に...

織田信長 岐阜駅

天文 20 (1551) 年父信秀が没して家督を相続して以来,一族内部の抗争に奔走,永禄2 (1559) 年には岩倉城の織田信賢を破り,尾張一国を統一,次いで駿河の今川義元を桶狭間で奇襲して敗死させた 。そののち三河の徳川家康と同盟して後顧の憂いを除き,美濃に進出を企て,永禄 10 (1567) 年斎藤龍興を滅ぼして美濃をくだし,稲葉山城を岐阜と改名して,尾張清洲より移った。翌 11年足利義昭を奉じて上洛,義昭を将軍職につけたが,...

山内一豊 郡上八幡城

尾張上4郡守護代織田伊勢守の家老である尾張黒田城主山内盛豊の子。通称は猪右衛門(伊右衛門とも書く)。織田伊勢守家が信長によって滅ぼされたあと,しばらく浪々ののち信長に仕えることになり,元亀1(1570)年の越前金ケ崎城攻め,姉川の戦に従軍する。妻のまつ(千代とも。のち見性院)のへそくりによって名馬を買ったとするエピソードはそのころのことか。ただし,この逸話は良質の史料にはみえない。豊臣秀吉の北近江領有のころから秀...