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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプPhotをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

伝源範頼墓所 埼玉県北本市

東光寺 伝源頼範墓 Google源範頼は伊豆で殺されずに石戸の地まで逃れ、そこに隠れ住んでいたと伝えています。そして、逃れる際についてきた杖をポンと立てると、それが根付いて蒲ザクラになったというのです。 範頼伝説は、江戸時代の文献に紹介されていて、その概要は次のとおりです。*範頼は東光寺周辺に館を構えていた。*亀御前という娘が早世したため、供養のために阿弥陀堂(東光寺)を建てた。*範頼は正治2年(1200年)2月5...

松平大和守家廟所

喜多院の本堂(慈恵堂)の裏手に、立派な五輪塔や石塔がたち並ぶ一画があります。ここは川越藩主をつとめた松平大和守家の墓所。松平大和守家は、明和4年(1866/江戸時代)~慶応2年(1866/江戸時代)に7人が川越藩主(城主)をつとめました。この7人うち川越で亡くなった5人の墓所となっています。墓所内には5人が眠る五輪塔があり、正面の玉垣内に4基、門脇に1基あります。また、この場所は川越市の史跡に指定されています。松平...

龍光寺 足利家累代の墓 栃木県さくら市

 この寺の創立者は、足利尊氏で束勝寺と号し下野国の安国寺でありました。喜連川左馬頭頼氏の時、慶長六(1601)年、父頼純が逝去されたので、当山に葬り戒名の龍光院殿全山機公大禅定門の頭をとって龍光院と改称しました。以来、足利家の菩提所と定めて寺領五十石を賜り喜連川藩公代々祈願追善の香華の院となりました。墓所周囲は築提を廻らし総面積四百平方米石五十四基のほか石灯籠があり、十四代に亘る藩主御台所嫡子等の...

塚原卜伝墓所 茨城県鹿嶋市

塚原卜伝墓所塚原卜伝は延徳元年(1489)鹿島神宮の神職卜部吉川家に生まれ、塚原城の城主塚原土佐守安幹の養子になりました。 少年時代に鹿島の太刀、香取神道流などを習い、剣の達人としての第一歩を踏み出しました。 卜伝は生涯3回の廻国修行をし、足利義輝やその弟義昭などにも指導したと伝えられています。 その後、卜伝の剣術は、甥の吉川晴家に伝えられ、「鹿島新當流」として県の無形文化財に指定されています。卜伝は...

大福御前 自刃の地 埼玉県寄居町

北条氏邦の妻・大福御前の碑。彼女は藤田康邦の娘で、豊臣秀吉の北条征伐の折に鉢形城を攻撃した藤田信吉(上杉勢の先鋒)は弟であった。大福御前は寄せ手の弟を介して城兵の安全を図った。このため多くの城兵の命が助けられたといわれる。正龍寺の門前から右に入った畑の中にある。花園城周辺地図 Google人気ブログランキング...

正龍寺 埼玉県寄居町

12世紀中頃に藤田氏初代・猪俣政行が高嶺山に箱根権現を祀ったのが始まりとされる。1187年、寺院近くにあった花園城下の湖に青龍が棲み着いたとする逸話に基づき、臨済宗の僧實翁和尚が1348年に青龍寺と号した。藤田氏十五代の康邦が開基となって、1532年に乾翁瑞元和尚の教化のもとに創建され、後に康邦の養子である北条氏邦の帰依を得て大きく栄えた。氏邦が北関東支配の拠点としていた鉢形城は豊臣秀吉による小田原征伐の標的と...