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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photoで見る 城館をどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます。

古城巡り 写真館

桑幡氏館 鹿児島県霧島市

神仏混淆であった大隅正八幡宮には、別当寺も含め多くの神官・神人・僧侶が係わっている。「四社 家」、「十家」又は「一家」、「衆徒十五坊」、「殿守十二家」、「四十七家」「隼人十八家」など 百十家があり、中でも世襲の四社家は、それらを統括する立場にあった。 桑幡氏は、息長姓をもち現在の当主で76代目となる。中世には「社家の筆頭」とされる。長く大隅正八 幡宮の四社家として、留守・沢・最勝寺氏とともに神宮の繁栄...

加治木城 鹿児島県姶良市

地元の豪族である大蔵氏によって築かれたと伝えられるが、正確な築城年月日や当時の規模などの詳細は全く不明である。 平安時代中期の大蔵氏当主・大蔵良長には男子が無く、やむを得ず娘に婿養子を迎えた。その婿養子が関白・藤原頼忠の三男・藤原経平と伝えられている。経平はそのままこの地に土着し、「加治木氏」を名乗るようになる。 鎌倉時代には御家人として元寇の撃退にも貢献した加治木氏は、このときに絶頂期を迎えたと思...

加治木島津屋形 鹿児島県姶良市

  島津四兄弟の次男・義弘の最後の居館で、終焉の地。 慶長8年(1603年)義弘の命により明国人の易学者・江夏友賢が、建設地の選定・縄張り・町割りを行った。義弘は慶長12年(1607年)、平松城から加治木に移り、元和5年(1619年)に最期を迎える。現在の「護国神社」「加治木高校」の区画(東の丸)が義弘の時代に建てられ、後に子の忠恒によって西の丸(現在の「柁城小学校」)まで拡張。その後、家久三男・忠朗が加治木屋...

横川城 鹿児島県霧島市横川町

久の頃(1220年頃)大隅国守護・横川藤内兵衛尉時信がこの地方の領主として築城した。初代時信より6代河内守種氏まで居城とした。種氏以後、永禄の頃には真幸院(まさきいん)領主・北原伊勢介の領地となった。永禄五年(1562年)北原氏に内乱があって、その一族の多くが島津氏に付いたが、北原伊勢介と子・新助は飫肥の伊籐氏に付いて横川城に立て籠もった。15代藩主島津貴久は溝辺まで兵を進め、家臣の伊集院大和守忠朗...

松尾城(粟野城) 鹿児島県姶良郡湧水町

松尾城 大手門??南九州唯一の山城跡とされ、特に虎口の石垣と翻案ルの屋形土台石の存在は貴重な文化財。古代、中世を通じて薩隈日、球磨の戦略拠点として重要な砦であり真幸院領主北原氏がこの城二移った。戦国末期、島津氏が3州を統一、今から役380年前の天正18年(1590年)には島津義弘が飯野城から移り帖佐に移る迄の満5年間居城とした。その間文禄元年(1592年)の朝鮮遠征には松尾城から出陣している。現地説明板より松尾...