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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプPhotをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

仁正寺陣屋(大西路陣屋) 滋賀県日野市

仁正寺陣屋・大西路陣屋 Google仁正寺陣屋、後の西大路陣屋は滋賀県蒲生郡日野町(近江国蒲生郡)にあった仁正寺藩の藩庁である。大永3年(1523年)蒲生氏が日野の地に築城した。賢秀の代に織田信長の臣下となった。天正12年(1584年)蒲生氏郷は伊勢国松ヶ島12万石に移封し、その後田中吉政、長束正家と城代が入り、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い以降廃城となった。元和6年(1620年)市橋長政が越後国三条より2万石で入封し、日...

日野城(中野城) 滋賀県日野市

日野城 Google蒲生定秀が天文2年(1533年)から3年ほどかけて日野の地に本格的に築城した。蒲生氏は蒲生賢秀の代に織田信長の臣下となり、天正10年(1582年)、本能寺の変が起こった時には、賢秀とその子蒲生氏郷は織田信長の妻妾一族をこの城に迎え入れた。天正12年(1584年)氏郷は伊勢国松ヶ島12万石に移封し、その後田中吉政、長束正家と城代が入り、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い以降廃城となった。元和6年(1620年)市橋長...

久徳城 滋賀県多賀町

城址は現在、市杵島姫神社の境内となっている、久徳氏は多賀氏から出ており、長享元年(1487)、諸処の合戦における功により現在の犬上郡多賀町久徳の地を賜り、芹川を外堀にした久徳城を築き久徳を称するようになったとある。土塁の跡、本殿の周囲には壕跡などの遺構がみられる。典型的な平城である。六角氏と浅井氏の係争の地として戦場となる。現在の久徳城 市杵島姫神社の境内久徳城 Google人気ブログランキング...

敏満寺城 滋賀県多賀町

敏満寺城敏満寺城は天台宗寺院が城塞化した城郭寺院です。城址は全国的にも珍しい高速道路のサービスエリア内にあります。1562年(永禄5年)、浅井長政に攻められ40余りあったといわれる坊舎のほとんどが焼失しました。さらに1571年(元亀2年)には織田信長の命に応じなかったことから、残りの坊舎も焼かれ寺領も取り上げられてしまいました。江戸時代には彦根城築城のために城址に残った礎石も運び去られたため、遺構はほとんどあ...

十兵衛屋敷 口伝の地 滋賀県多賀町

十兵衛屋敷入口、十二相神社参道の神社手前に!!十兵衛屋敷跡「淡海温故録」によると、光秀の2~3代前が主君の土岐成頼に背いて美濃を離れ、六角高頼を頼って多賀町佐目に移住。戦国時代の佐目には3つの山城があり美濃とも近く、近江を制するのに重要な位置であったと考えられていました。また、山崎の戦い(1582年)では、多賀氏・久徳氏・土田氏などの犬上衆が光秀の家来ではなかったにも関わらず、昔の旧き(ふる)好み(...

坂本城 幻の水城 滋賀県大津市

坂本城 Google坂本城は琵琶湖の南湖西側にあり、大津市の北郊に位置する。西側には比叡山の山脈があり、東側は琵琶湖に面していることから天然の要害を具えた地であった。比叡山は近江国と山城国にまたがっており、白鳥道と山中道の2つの道は両国を結ぶ道路が通じており、中世、近世において頻繁に利用され、比叡山の物資輸送のために港町として、坂本は交通の要所として繁栄していた。現在城郭の大半は宅地化され、推定地の中央...