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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプPhotをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

春日局お屋敷 岐阜県関市

お局道 周辺地図関ヶ原合戦の時、春日局の夫、稲葉正成は豊臣秀吉の直臣となり文禄の役(一五九二)のあと小早川秀秋の家臣となった正成は政治的、軍事的手腕は相当なものだったらしく、小早川家では五万石を受け関ヶ原合戦では秀秋の東軍の寝返りに力があったといわれるが政道についてたびたび秀秋に諫言したが聞きいれなかったため、慶長六年、夫正成は春日局と子供を連れて弟の、「改田孫六清常」の住む美濃国「谷口の里」に閑居...

明知長山城 明智氏累代の居城 岐阜県可児市

明知城散策マップ 現地説明板より土岐明智二郎下野守頼兼が、康永元年(1342年)美濃国可児郡明智庄長山に明智城を築城したといわれる。『美濃国緒旧記』には「明智城は可児郡明智庄長山城のことである。明智城は土岐美濃守光衡により五代目にあたる頼清(民部大輔頼宗)の次男、明智次郎頼兼が康永元年三月、美濃国可児郡明智庄長山に初めて明智城を築城し、光秀の代まで居城した」とある。なお光秀出生の地とされているが、恵那...

美濃金山城 国史跡指定 岐阜県

㊟イメ-ジ図になります♪(o・ω・)ノ))天文6年(1537年)に尾張国侵攻のため斎藤道三の命令で近辺の14諸将の協力を得て猶子の斎藤正義が築城し、烏峰城と名付けられた。しかし正義は天文17年(1548年)に近隣の久々利城主土岐悪五郎に久々利城へ招待された際に討たれ、城主が一時不在となった。その後織田信長が美濃国を領地としたことにともない、永禄8年(1565年)に家臣の森可成が城主となり兼山城と改称した。 元亀元年(1570年...

揖斐城 岐阜県揖斐郡揖斐川町

縄張り図 説明板より現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町にあった中世の日本の城(山城)。標高220メートル、比高180メートルの城台山頂上に本丸があり、土岐氏の支族である揖斐氏が約200年にわたって居城とした。敷地は南北に約54メートル、東西に約14メートル。現在は城台山公園として整備されている。『土岐累代記』によれば土岐頼康が、また『新撰美濃志』によればその弟の土岐頼雄が1343年(康永2年)に築城したという。いずれにして...

郡上八幡城 最古の再建木造天守 岐阜県郡上市

 郡上八幡城Google戦国時代末期、郡上一円は篠脇城を居城とする東氏(とうし)によって支配されていた。その後、東氏は郡上八幡の町を流れる吉田川の対岸にある赤谷山に赤谷山城を構えたが、永禄2年(1559年)牛首山(後の八幡山)の上に砦を築いた遠藤盛数により滅ぼされた。その時、赤谷山城を攻撃した時に砦を築いたのが郡上八幡城の起源である。その後盛数の長男慶隆が城主となったが、本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織...

久々利城 岐阜県可児市

久々利城 Google㊟イメ-ジ図になります美濃国守護の土岐頼康の弟である土岐康貞が築城した。城の麓に千村良重が建てた千村陣屋がある。延元・正平年間(1336年-1370年)土岐康貞が築城した。戦国時代には康貞の末裔久々利頼興が居城として東濃に勢威を誇ったが、天正11年(1583年)に金山城主の森長可に攻められ陥落、以後は森家家臣・戸田勘左衛門が城代となった。慶長5年(1600年)に森家が信濃に転封となると廃城となった。城...