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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

屋代氏館 山梨県北杜市

屋代氏館@Google屋代越中守勝永(秀正)の屋敷跡とされる。屋代氏は信濃国更級郡の豪族であったが、勝永の伯父正国の代に武田氏の家臣となり、天正十年(1582)の武田氏滅亡と本能寺の変の後は徳川家に仕えた。徳川家康が関東に移封となった同十八年(1590)までの間に、すでに一度神取村を領していた可能性も考えられるが、詳細は不明である。現地の説明板によれば、慶長十九年(1614)に、巨摩郡を勝永と真田信尹、三枝昌吉の3...

古宮城 山梨県北杜市

古宮城 Google㊟イメ-ジ図になります(*・`ω´・)ゞ須玉川と波竜川にはさまれた台地東端に位置する。屋敷跡は諏訪八幡神社と旧津金小学校の敷地となる。佐久往還の古道が当地から上律金の大和集落を経て須玉川対岸の長沢(北巨摩郡高根町)に通じる。また海岸寺峠を越え佐久郡に至る道も当地を通過している。北方1.8㎞には源太ヶ城(須玉町)がある。標高は790mである。諏訪神社階段脇の城址碑当地域は中世には津金郷と呼ばれ、15世紀...

能見城 山梨県韮山市

能見城 防塁 Google韮崎市穴山町は中世には穴山郷が所在し、南北朝時代には甲斐守護・武田氏の一族である穴山義武が同地を本貫地とし、穴山姓を称した。穴山氏は後に本拠を河内地方へ移し、甲斐における有力国衆となる。能見城の南方約1.8kmに位置する中田町中條には新府城が所在し、『甲陽軍鑑』によれば天正9年に武田勝頼が新城の築城と府中移転を企図した際に、穴山信君は穴山郷の一部を進上したという。このため、穴山郷は穴...

大渡の狼煙台 山梨県北杜市

大渡の狼煙台@Google戦国時代に武田氏の配下だった小尾衆という地域武士団が大渡烽火台を守っていたという。大渡の烽火台は塩川が大きく蛇行する地点に設けられた鳥井峠の西の山に築かれている。細く険しい山頂部に主郭があり、東西に細長く北側に土塁が付いている。北西側にはわずかに堀切があるが、鳥井峠側にはなく、無数の小さな段曲輪が付いている。㊟イメ-ジになります(・Д・)ノ旧道からの大渡の狼煙台分岐点となる鳥井峠...

比志の山城 山梨県北杜市

比志の城山@Google当城に関する直接的史料はないが、「国志」にみえる比志に所在する2つの烽火台のうち1つと思われる。別称で比志の烽火台がある。山頂は東西15m、南北20m程の広さの不整な台形の平坦地で、1段下がって3箇所に腰郭状の平場があり、南東の尾根続きは舌状の平坦地となっている。探索道は、砂防ダムを通り過ぎて舗装道の終点から山に入る事になる。塩川左岸段丘上に張り出した城山の頂上に立地する。標高は990m。...

源太ヶ城 山梨県北杜市

源太ヶ城@Google逸見清光は甲斐源氏の祖で、平安時代末に常陸国から配流され甲斐にやって来た人物です。はじめは甲斐中央部の市河郷に居ました。しかし、次第に勢力を拡大して甲斐北西部の八ヶ岳南麓にある逸見荘を本拠としました。源太ヶ城の東には甲斐と佐久を結ぶ佐久往還があり、室町時代には津金衆が守っていました。津金衆は文明年間(1471~86の間)に、常陸国から来た佐竹胤義を祖とします。(別の佐竹氏が祖であるという)...