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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・

二条城 栃木県栃木市西方 2020.1.20

完成 二条城 栃木県栃木市202001
㊟イメ-ジ図になります(。>ω<。)ノ

・・・・・・・二条城の本丸が綺麗になったと聞いて・・・・


二条城は、関ヶ原合戦後に徳川氏の家臣となった藤田能登守信吉(西方入封後重信と改名)が、下野国西方の地に一万五千石(下野・西方藩)を与えられ、西方城の築かれた城山東麓の、比高55m程の丘陵上に築かれた近世城郭の平山城である。
城域中央に方形に近い形状の主郭を置き、周囲に二ノ郭等の曲輪群を廻らした環郭式の縄張りである。

徳川の家臣になってからは、佐竹氏が秋田へ国替えになった際には、水戸城を守備し水戸に残っていた反対派を捕らえるなど名を残した。
この頃になると10年以上戦乱がなく、藤田重信(藤田信吉)のような実戦経験豊かな武将は貴重な存在となっており、慶長20年(1615)大坂夏の陣では当時25歳前後だった榊原康勝勢の軍監を命じられた。
しかし、軍勢を戦に参加させず真田幸村の猛攻を受けた責めを負い、信濃に蟄居。(藤田信吉に恨みを持つ上杉などの陰謀もあったとされる。)
そして、失意のまま翌年慶長21年(1616)7月14日、信濃は木曽の奈良井で没する。享年58歳。嗣子はなかったとされ除封となり下野・西方藩も1代で廃藩。藤田家は断絶した。
大坂夏の陣で戦傷を負ったのが死因とも言われるが、一説には、大坂の陣の戦功評議の場での失言を咎められた事を悩んだとも言われ、近年では自殺説が有力である。
信吉の墓は近くの実相寺にある。





西方城二条城登城口




二条城への道
二条城への道




確かシダだらけのだった郭
確かシダだらけのだった郭




確か低い竹一面だだっ郭
確か低い笹一面だだっ郭




2mある竹藪地獄の本丸の現在
2mある竹藪地獄の本丸の現在




本丸の土塁に残る石積
本丸の土塁に残る石積




藤田信吉の墓 実相寺
藤田信吉の墓 実相寺




西方氏の墓
西方城主後裔の墓

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細谷館 栃木県下野市細谷

細谷城 遠景
細谷館 遠景 この館についての歴史は詳細不明である。構造は、極めてシンプルで単郭の曲輪を全周空堀で巡らせるだけだが、雑木林の中に良好な遺構を見る事が出来ます。





細谷城 虎口?近年によるものか?
細谷館 虎口?近年によるものか?




細谷館 堀





細谷館 堀2





細谷館 土塁





細谷館 郭内
細谷館 郭内




細谷館 郭内から見た土塁
郭内から見た土塁




[栃木県下野市細谷396] 2015.5登城

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多功城 栃木県河内郡上三川町多功

多功城 遠景
多功城 遠景 北側から




多功城は1248年に宇都宮氏一族の多功宗朝によって建てられた城で、上三川城とともに宇都宮氏領域の南の要として、宇都宮氏が改易された1597年の廃城まで続きました。現在は本丸跡の土塁や堀の一部が残ります。なお、多功氏は代々武勇に優れ、多くの戦いで活躍しましたが、特に戦国大名として著名な上杉謙信や北条氏政の軍勢を破ったことでも知られています。





多功城 城址碑
多功城 城址碑 石橋ゴルフガーデン駐車場内にあります






多功城 ゴルフ場裏の遺構へ
ゴルフ場北側の説明板だが、立入禁止の看板2015.5現在?・・・この右手奥に遺構が残るが・・・・





多功城 田側から
北側の畦道を西へ・・・・






多功城 雑木林側の遺構へ
雑木林側の遺構へ、既に堀が見えます





多功城 雑木林の中の堀 1
雑木林の中の遺構 東側の堀




多功城 雑木林の遺構 堀 2
雑木林の中の遺構 北側の堀




多功城 雑木林の中の遺構 隅の土塁
雑木林の中の遺構 櫓台状の土塁




多功城 雑木林の遺構 郭内
雑木林の遺構 郭内





[栃木県河内郡上三川町多功1533]  2015.05登城

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唐沢山城2019 栃木県佐野市

唐沢山城改@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります(。>ω<。)ノ









佐野市街地の北方約5キロメートルの唐沢山(247メートル)山頂を本丸として一帯に曲輪が配された連郭式山城である。戦国時代において、佐野氏第15代当主・佐野昌綱による唐沢山城の戦いで有名で、上杉謙信の10度にわたる攻城を受けたが、度々撃退して謙信を悩ませた。関東地方の古城には珍しく高い石垣が築かれているのが特徴である。続日本100名城に選ばれた。
現在は栃木県立自然公園の一部となっており、本丸に築城主と伝えられる藤原秀郷を祀る唐沢山神社が鎮座する。杉郭跡には栃木県唐沢青年の家が建てられたが、平成19年(2007年)3月31日閉所した。遺構として石垣、大手枡形、土塁、堀切、土橋、近世に復元された井戸などが残っている。





_DSC6737城址碑



築城は平安時代の延長5年(927年)に、藤原秀郷が従五位下・下野国押領使を叙任、関東に下向し唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。 天慶3年(940年)平将門による天慶の乱が起こったが、秀郷らの活躍で乱を鎮圧した。この功績により秀郷は従四位、武蔵・下野両国鎮守府将軍を拝領した。 また、一説にはこの乱を鎮圧した天慶3年から築城が開始され天慶5年(942年)に完成したと伝えられる。その後、5代にわたりここに居城した後、6代成行は足利荘に移り一時廃城となった。
平安時代末期の治承4年(1180年)9代俊綱の弟成俊は再びここに城を再興し、佐野氏を名乗った。鎌倉時代に入った建保元年(1213年)成俊は30余年の歳月をかけて城を完成させた。
以上のような伝承がある一方で、最近の研究では唐沢山城の起源は15世紀後半までしか遡らないことが明らかにされている。秀郷築城が伝承された背景には、唐沢山城主の佐野氏の先祖が藤原秀郷であるからであるといわれる。
室町時代中期の延徳3年(1491年)には佐野盛綱が城の修築を行った。
戦国時代の佐野氏は相模の北条氏、越後の上杉氏の二大勢力に挟まれどちらに付くか苦悩した。当初、越後の上杉謙信と結んだ佐野昌綱は、永禄2年(1559年)北条氏政に3万5千の大軍をもって城を包囲された。謙信は即座に援軍を差し向け北条軍を撤退させた。
唐沢山城(佐野)は謙信においては関東における勢力圏の東端であり、佐竹氏をはじめとする北関東の親上杉派諸将の勢力圏との境界線でもあったため、特に重要視されたと考えられている。
昌綱の子・宗綱は弟で上杉氏の養子に入った虎松丸と不和になり、一族間で「唐沢山天正の乱」と呼ばれる争いが起こった。これにより佐野氏は上杉氏と決別するに至った。天正4年(1576年)虎松丸に加勢した上杉謙信は1万5千の兵をもってこの城を攻めたが、一族の結城氏・小山氏・皆川氏などの加勢により上杉軍を撤退させた。それまでも9度にわたり上杉軍の攻城を受け、城主・昌綱は何度も降伏したものの、謙信を大いに手間取らせた。この堅固さは評判となり関東一の山城と賞賛された。
上杉氏と決別し孤立化した佐野氏は、天正15年(1587年)に北条氏康の五男・氏忠を養子に迎え北条氏と和議を結んだ。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐では、当主の佐野房綱は豊臣方に付き城内の北条勢を一掃した。文禄2年(1593年)豊臣氏家臣富田一白の二男・信種を養子に迎え、秀吉の偏諱を賜り佐野信吉と名乗った。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは信吉は徳川家康方に付き3万5千石の旧領を安堵され佐野藩が成立した。慶長7年(1602年)麓に佐野城が築かれ平安時代より続いた唐沢山城はその歴史に幕を閉じた。廃城に至った説として、江戸に火災があったとき、山上にある唐沢山城よりこれを発見し早馬で江戸に駆け参じたが、江戸を見下ろせる所に城を構えるは何たることかと家康の不興を買ったと言う話がある。また、江戸から20里(80キロメートル)以内の山城は禁令されていたとの説もある。






_DSC6702土櫓の石垣
土矢倉の石垣




_DSC6724権現堂付近堀切
権現堂手前の堀切




_DSC6811南東尾根土橋2
南東尾根土橋




_DSC6893北東尾根石垣
北東尾根石垣




_DSC6745南側は北条方を
天狗岩から、南側は北条方を




_DSC6747西側は越後方を
天狗岩から、西側は越後方を




_DSC6788南城の石垣
南城の石垣




_DSC6829本丸の高石垣
本丸の高石垣





二ノ丸から本丸を見上げる
二ノ丸から本丸を見上げる









[栃木県佐野市富士町1409]2019.9.24登城

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城之山城 栃木県佐野市

城之山城





改 城之山城
㊟イメ-ジ図になります(-ω-)/





この城についての歴史的詳細は不明ですが、南に浅利城が在り北には要谷山城が在ります,
又彦間川を挟み向には正光寺城と須花城が在り足利が近い位置となる。





古い宝篋印塔
麓安養寺の古い宝篋印塔




西尾根 2本目の堀切
東尾根 2本目の堀切




西から見た主郭城塁
東から見た主郭城塁




城之山城 主郭
城之山城 主郭




南尾根 1本目の堀切
北尾根 1本目の堀切




佐野市城館リスト2
佐野市城館分布図(佐野市Hpより)




[栃木県佐野市下彦間町999]

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