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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

宍戸城(宍戸陣屋) 茨城県笠間市

宍戸城@Google宍戸陣屋の前身の宍戸城は鎌倉時代初期に八田氏が築いたといわれる。戦国時代になると佐竹氏の持城となった。慶長7年(1602年)秋田実季が出羽国より入り、正保2年(1645年)子の俊季の代に陸奥三春藩に転封となった。天和2年(1682年)、水戸藩主徳川頼房の七男・松平頼雄が1万石を与えられ、城を陣屋に改めた。以後9代頼徳まで続くが、幕末の元治元年(1864年)、天狗党の乱の鎮圧に失敗し、藩主自ら幕府より責任...

館岸城 茨城県笠間市

館岸城@Google㊟館岸城 イメ-ジ図になります( ̄^ ̄)ゞ館岸城は館岸山(標高256m)の南斜面上半分を中心にその北の峰上の一部を城域としている。規模は東西約200m,南北約200mである。この城の特徴は,一本の防御線で城域の中心部を囲んだだけのシンプルな構造にある。この防御線で囲まれた中に谷がある。塁壁がこの谷を遮断し,ダム機能をはたし城内に池を造りあげる。これは水の手の確保である。ハイキングコース入口、民家の脇を通...

古河公方館 茨城県古河市

古河公方館イメ-ジ図です(・Д・)ノ永享の乱(1438~39)によって自害した鎌倉公方足利持氏の四男永寿王は、後に元服して宝徳元年(1449)に足利成氏を称する。しかし成氏は、政治の実権をめぐって関東管領上杉氏と抗争を続け、康正元年(1455)に鎌倉から古河の地に移り、古河公方と称した。後に渡良瀬川沿いの古河城に移るが、古河城の別館のあった当地は、寛永4年(1627)に廃止されるまで「鴻巣御所」ともよばれていた。 古河...

小堤城 茨城県古河市

小堤城 Google円満寺のある小堤城館跡は三重の堀・土塁(内掘・中堀・外堀)に囲まれていた。現在も寺の北側と西側に内堀の遺構がある。創建地の「寺家山」は、内堀と中堀の間、すなわち小堤城館の外郭にあったことから、当初は領主の持仏堂が城域内に建立され、のちに城域全体が寺院化したと推測される。同じような事例として、太田市の円福寺や足利市の鑁阿寺があり、この寺も城館主の信仰に関連して創建されたと考えられる。小...

笠間城 茨城県笠間市 2021

  笠間城 Google笠間城 縄張り図(現地説明板より)鎌倉時代、この地域は真言宗の正福寺と徳蔵寺の勢力争いが盛んであり、両寺院の僧兵たちが争っていた。劣勢であった正福寺勢が下野守護宇都宮頼綱に援軍を求めたところ、頼綱は甥の笠間時朝(塩谷時朝)を派兵した。時朝は元久2年(1205年)、徳蔵寺の僧兵と戦うための拠点として佐白山山麓に麓城を築城し、徳蔵寺を討った。ところが麓城の規模があまりにも大きかった...

大石邸跡 茨城県笠間市

笠間城の麓に位置し、主に家臣達の屋敷が構えられた地域です。大石家屋敷跡(笠間城)、元禄赤穂事件や吉良邸討ち入りなどで知られる大石内蔵助を排出した大石家が笠間藩時代に屋敷を構えた場所でもあります。案内板によると「 ここは、浅野氏赤穂藩の国家老で「忠臣蔵」の物語で名の知れた大石蔵助良雄の曽祖父良勝及び祖父良欽が住んでいた屋敷跡である。浅野氏は、元和8年(1622)に笠間5万3千5百石の藩主になったが、...