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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプPhotをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

笠間城 茨城県笠間市 2021

  笠間城 Google笠間城 縄張り図(現地説明板より)鎌倉時代、この地域は真言宗の正福寺と徳蔵寺の勢力争いが盛んであり、両寺院の僧兵たちが争っていた。劣勢であった正福寺勢が下野守護宇都宮頼綱に援軍を求めたところ、頼綱は甥の笠間時朝(塩谷時朝)を派兵した。時朝は元久2年(1205年)、徳蔵寺の僧兵と戦うための拠点として佐白山山麓に麓城を築城し、徳蔵寺を討った。ところが麓城の規模があまりにも大きかった...

大石邸跡 茨城県笠間市

笠間城の麓に位置し、主に家臣達の屋敷が構えられた地域です。大石家屋敷跡(笠間城)、元禄赤穂事件や吉良邸討ち入りなどで知られる大石内蔵助を排出した大石家が笠間藩時代に屋敷を構えた場所でもあります。案内板によると「 ここは、浅野氏赤穂藩の国家老で「忠臣蔵」の物語で名の知れた大石蔵助良雄の曽祖父良勝及び祖父良欽が住んでいた屋敷跡である。浅野氏は、元和8年(1622)に笠間5万3千5百石の藩主になったが、...

坂尾の土塁 茨城県笠間市

この枡形土塁は、国道50号線、関場から佐白山に向かって南、坂尾に入る道を100mほど行った所に、道をはさんで左右に築かれている。土地の人は杉並土手とよんでいる。この土塁は城の前線で防備のために築かれたものである。築かれた時期は不明であるが、中世末までにはできたと考えられる。笠間城の外郭防備の遺構として現存する唯一のもので貴重である。2021.1.31 iPhone 11撮影大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン...

頃藤古館 茨城県大子町 2020.12.13

 頃藤古館は、JR水郡線上小川駅のすぐ西側にある。館内部は神賀歯科医院さんの敷地となっている、歯科医院の北側周囲には重厚な土塁が現在も残されいます。頃藤古館は、頃藤城主小川氏の隠居所であると言われているが詳細は不明。館内部は神賀歯科医院さんの敷地裏手には見事な土塁が残る土塁前の城址碑大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )人気ブログランキング...

頃藤城 茨城県大子町 2020.12.13

頃藤城Google大きく蛇行する久慈川に北、東、南側を囲まれ、西方の山麓から舌状に突出した台地上にあります。この西側の尾根筋に、南北に堀切りをして郭を築いていました。現在、石祠が立っている平担地が本丸で、一段下がって二の丸、三の丸があったと思われます。本丸跡の北、南側は急崖となって久慈川がせまり、西側に空堀、土塁跡が残っています。 『新編常陸国誌』には、「太田郷鑑云、本丸千四百四十坪〔字御城〕二丸九百六...

山方城 茨城県常陸大宮市  2020.12.13

山方城 Googleマップ山方城は、常陸大宮市山方地域市街地の北側に立地します。 応永15年(1408)、関東管領上杉憲定の子 義憲(のち義人と改称)が佐竹氏を継いだとき、後見として美濃国山方(岐阜県山県市)から常陸国に入った上杉一族の山方能登守盛利が居城としたと伝えられています。その後、佐竹氏15代義治の第5子 東政義の居城となりましたが、ほどなくして東氏は小里(常陸太田市)に移ったとされます。 佐竹系の城館の...