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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

須影八幡神社 埼玉県羽生市

須影八幡神社





 この八幡神社は。「新編武蔵風土記稿」に「村の鎮守なり、慶安二年八月二十四日、社領十九石五斗余を賜う、」と記されており、別当(寺院が神社を管理していたこともある)として蓮華寺の名前も見えます。その最後の住職であった潮元が、安政四年(1857年)から慶応元年(1865年)まで現在の本殿と拝殿を造営したものです。
 本殿の壁面には西、北、東の3面に彫刻が2つずつ残されています。西側は「七福神」、北側は「神功皇后縁起」、東側は「大蛇退治」と「八幡宮地形つき」を主題としています。「地形つき」は、本殿の建設工事の様子を表したもので、写実的に精巧に作られており、そこに出ている人は、本人に非常によく似ていたといわれています。
 棟札によりますと、拝殿は安政五年(1858年)に再造され、棟梁として当所の清水仙松や三村若狭正利の名前が見えます。三村家は市内本川俣で代々宮大工を世襲しており、市内常木の雷電神社や板倉町の雷電神社の造営に携わるなど著名です。彫工のなかには、市内下岩瀬の入江文治郎茂弘の名前も記されています。
 おのおのの彫刻の大きさは、縦1メートル、横2.1メートルです』
現地説明板より






八幡神社 拝殿
八幡神社 拝殿




須影八幡神社の彫刻1
須影八幡神社の彫刻1
彫刻は羽生市指定文化財になっています



須影八幡神社の彫刻2
須影八幡神社の彫刻2




かつて境内に「頼朝旗掛けの松」と伝承されていた樹があった。源頼  朝が奥州征伐(文治5年)の途中、軍を休ませ、この社に戦勝を誓った  折に、旗を掛けたと言われている。文治5年(118  9)には、神社が存在していたとともに源頼朝をこの神社に誘導した有力  者がこの近在にいたものと思える。
 「頼朝旗掛けの松」は病気にかかり、やむなく伐採されてしまいましたが、その切り株は羽生市立図書館・資料館に常時展示されています。
この松は“源頼朝旗掛けの松”と言い、頼朝が奥州征伐の際、八幡社に戦勝祈願をし旗を掛けたことからその呼び名がつけられたそうです。

かつて、羽生市の西部地域及び加須市の一部は葛浜郷と呼ばれており、その葛浜に、平安時代末期、大河戸下総権守行方の4男である四郎  行平が居し、「葛浜」を姓としたとあり、また、治承5年(1181)には源 頼朝に仕えたとある。


羽生市須影に鎌倉時代の遺跡としての葛瀬氏館跡がある。この葛瀬氏と葛浜氏が同一氏だとすれば、四郎行平が居したのは葛浜郷の今の須影の地となる。
  奥州征伐(1189)の折、源頼朝を須影の古社へ誘導したのは、頼朝に仕え、御家人として活躍し、その上、須影に館を構えていた葛浜四郎行平と思われる。
かつては、神社に所属してその経済を支えた民を「神戸(かんべ)」といい、その神社に祖・庸・調を納めることにより、神社の経済が運営されていた。中世後期、特に戦国時代となるとその社領も次第に浸食され、ついには太閤検地により没収され、代わりにいくばくかの社領が与えられた。あとを受けた江戸幕府は、それを追認しつつ、新しく配分するという形で将軍の名において「社領安堵の証明書」、いわゆる朱印状を交付した。
須影八幡宮も、慶安2年(1649)に、徳川家光から19石5斗余の朱印地を賜った。
明治3年、江戸幕府の神仏混淆政策により、社職より上位に立った僧職に管理されていた須影八幡宮も、神社管理者となっていた別当、社僧(神社を司る僧)は廃するとの神仏分離令の発布により、別当寺であった蓮華寺(寛永年間創立)も廃寺となってしまった。
それ以後、須影八幡宮においても、神主により神事が行われるようになり、祭神も八幡大菩薩から誉田別命(八幡大神)に代わっていった。










[埼玉県羽生市須影648]

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長光寺 埼玉県羽生市

『新編武蔵風土記稿』によると、“斎藤内左衛門”が開基したという。
羽生城は勢力伸長を図る後北条氏によって維持が不可能となる。
そして、天正2年(1574)閏11月に自落した。斎藤盛秋は“上杉謙信”に仕えていた、不安定な関東の情勢を懸念し盛秋を羽生城に派遣したのである、城兵は謙信が引き取り斎藤氏は羽生に残る。





長光寺 参道
長光寺 参道




斎藤家はその後帰農した、内左衛門は前述のとおり、今泉村の名主となり、長光寺を開基した。
斎藤家の屋敷は、『羽生城と木戸氏』(冨田勝治著、戎光祥出版)によると、小字「戸の内」を比定している。
これは「殿内」と考えられ、長光寺を含んだ一帯が屋敷=支城であったのだろうと、冨田氏は述べている。






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長光寺 本堂




長光寺 斎藤家墓所
長光寺 斎藤家墓所




長光寺 斎藤家墓誌
長光寺 斎藤家についての石碑



[埼玉県羽生市今泉815]

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源長寺 埼玉県羽生市

『新編武蔵風土記稿』によると、開基は羽生城主木戸忠朝とある。
羽生城時代には、砦として機能していたのでしょう。伝承によると、矢狭間のある塀が寺の周囲を張り巡らしていたそうです。
また、上杉謙信が源長寺の山門に大砲を設け、羽生城に向けて撃ったという伝説もあります。





源長寺参道




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源長寺 文化財説明板





「武田家の高札」は、上杉謙信と後北条氏が和睦を結び、手すきになった羽生近辺に侵攻してきたときに、立てられたものだと言われています。
すなわち元亀2年(1571)、源長寺に「濫妨狼藉」を働くことを禁じるという高札を、武田信玄の部将土屋右衛門尉昌次が下した。
又源長寺には「不得道可夫妻画像」が所蔵されています。
これは天正2年(1574)に羽生城が自落したあと、頽廃した源長寺を再興した不得道可夫妻を描いた肖像画です。
不得道可は俗名を「鷺坂軍蔵」といい、羽生城主木戸忠朝の家臣でした。
『新編武蔵風土記稿』よると、「(鷺坂軍蔵は)羽生城没落の後浪人となり、後法体して道可と云い、大久保相模守に仕へ、旧主追福の為として当寺を再興せしと云」と記しています。





源長寺 古い五輪塔
本堂裏手の歴代住職の墓所の右手側にある、古い五輪塔・・・・これが、羽生城主に関係する物か??




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[埼玉県羽生市藤井上組1274]

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岩松寺 埼玉県羽生市

岩松寺 参道



曹洞宗の寺院、上州太田の金龍寺の末で瑞雲山と号する。岩松寺四世泉光和尚の『中岩瀬天神宮縁起』によると、天文13年(1544)の春、羽生城主木戸伊豆守忠朝によって建立されたとある。
  また、境内に存する『当山開創縁起』碑には、開基は小田原城主北条氏康の軍将である柴山縫殿介で、法名を岩松院春桂居士といい、元和3年(1617)2月13日に没した。開山は、金山金龍寺第6世住職の叡州玄珠であるとあるとし、次のような文が追記されている。
西岩瀬に禅僧がいた。僧は晩年の出家であったが上野国金龍寺の住職にまで上り詰めていた。その僧と親しかった縫殿之介は僧を招き岩瀬に寺院を寄付して、岩松寺と号した。縫殿之介に一人の子供がいた。徳川入封後、幼年の折、岩松寺に隠し、成人後、柴山新次郎重吉と名乗った。その後、羽生代官大河内金兵衛に許されたので、岩松寺の法具を整えるとともに、その僧・信嶺を招き、父の法要を行った。新次郎は、信嶺を開山にと願ったが、固辞されたので、金龍寺6世玄州禅師を勧請し開山とするとともに、父縫殿之介に岩松院を贈号して開基とした。信嶺は岩松寺の2世住職となったと記されている。





岩松寺 縁起






岩松寺 本堂
本堂は、天保3年(1832)8月に建立された。茅葺で約85坪あった。しかし老朽化したことから、明治36年8月には前本堂の古材を利用して改築し、屋根も茅葺から瓦葺とされた。




岩松寺 柴山家墓所
岩松寺 柴山家墓所





[埼玉県羽生市上岩瀬1753]

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春日山林泉寺 新潟県上越市

林泉寺(りんせんじ)は、越後国守護代・長尾氏およびその後裔である上杉氏の菩提寺として知られる曹洞宗の寺院である。山号は春日山(かすがさん)。
長尾氏の居城・春日山城(現在の新潟県上越市)の山麓に建立された上越市の林泉寺。




春日山林泉寺 総門
春日山林泉寺 総門 春日山城の搦手門と云われる(数年前に改修され、茅葺から銅葺になっていました)




春日山林泉寺 山門
春日山林泉寺 山門




山門の第一義
山門の第一義



林泉寺境内
林泉寺境内




林泉寺本堂林泉寺本堂





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墓所案内図
墓所案内図




堀氏墓所
堀氏墓所




川中島合戦戦死者供養塔
川中島合戦戦死者供養塔




謙信公の父及び祖父墓所
謙信公の父及び祖父墓所




上杉謙信公墓所2
上杉謙信公墓所




上杉謙信公墓所1
上杉謙信公墓所




上杉謙信公墓所3
上杉謙信公墓所




榊原氏墓所
榊原氏墓所




松平氏墓所1松平氏墓所1
松平氏墓所1



松平氏墓所2
松平氏墓所2



謙信公座像
謙信公座像



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[新潟県上越市中門前1丁目1−1]

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