星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!! 2019年02月 - 古城巡り 写真館
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  • 永徳元(1381)年毛利元春の五男、広世長井氏を相続して六代の領主になり、父元春から福原村を譲られてこの地に移り住み姓を改め福原とした。八代広俊の娘は毛利弘元の妻となり、長男興元が誕生し、次男元就は明応(1497 年3月14日、母の里であるこの城内で誕生したという。天文(一五四〇)年の群山合戦では十代広俊がこの守備にあたり西に備えた。慶長五年(一六〇〇)年十三代俊弘は毛利輝元に従って周防に移ったが、この間七代二一... 続きを読む
  • 南会津の冬2019福島県南会津町の高畑スキ-場へ今年初にて今年最後のスキ-!!2月とは思えない快晴の天気今日はスキーバッジテスト(プライズテスト)の日・・・・・テクニカルにクラウン!!滑りの次元が違います!!朝は雪はしまり良いが・・・・時間とともに気温が上がり、雪面のコンデションは下り坂・・・・・・山頂から見える、会津高原たかつえスキ-場宿泊した「小豆温泉 花木の宿」宿の廊下に有った、久川城の想像図で城... 続きを読む
  • 小金城図(現地説明板より)高20mほどの丘陵地帯にあり、古利根川、中川、荒川流域の低地帯を一望できる場所である。城域は東西800m、南北700mにおよび、12もの郭を備えて、当時の下総国北西部においては最大規模を誇った平山城である。大谷口城、開花城、とも呼ばれる。 要害の城であったが、太日川(現在の江戸川)の要でもあったため、水運により城下は市が立ち並んで金宿(後の小金宿)が形成され、周辺の本土寺や東漸寺が領... 続きを読む
  • 根木内城 説明板 根木内歴史公園寛正3年(1462年)高城胤忠の築城とされるが(『高城家文書』『日本城郭大系』)、永正5年(1508年)高城胤吉の築城とする伝承もある(『小金城主高城家之由来』、ただし、同書の記述の前後関係から大永5年(1525年)の誤記とする説もある)。栗ケ沢城に代わる高城氏の拠点として機能し、天文6年(1537年)小金城を築いて移るまで、同氏の本拠であった。 富士川の支流により開析された谷に東西を... 続きを読む
  • 増尾城 城址碑増尾城現状測量図(現地説明板より)増尾城は、高城氏の家臣・平川若狭守によって築かれたと伝わる城である。西と南に旧道が通っていたことから、両道の押さえとして築かれたものと考えられている。 大津川とその支流によって形成された舌状台地上に占地し、舌状台地全体が土塁と空堀を用いて二郭に区画されている。 舌状台地基部は空堀を用いて遮断されており、加えて郭内に土塁が設けられている。また、外郭土塁南... 続きを読む
  • <松ケ崎城 説明板城跡は山林に覆われていて、遺構の残存状況は良好である。城跡周辺には、「竹ノ台」「本郷」などの小字が残されている。松ヶ崎城跡は、半島状台地の南端を、土塁や堀で囲み曲輪とした、小規模な単郭の城跡である。曲輪は約60メートル四方の方形プランで、東と北、西の三方を囲む土塁を持ち、さらに土塁東と北の土塁の外側に顕著な堀が認められる。曲輪の南側、台地斜面上には、二か所の腰曲輪が並べて築かれて... 続きを読む
  •  前ヶ崎城 入り口前ヶ崎城は、16世紀中葉から1590(天正十八年)頃まで、松戸市小金城を本拠とする高城氏の支城として機能したと考えられます。 西・北・東側の三方を坂川とその支谷に囲まれた、標高16mの細長い台地上に立地し、水田面とは11mの比高があります。現在地から南160mと350mの二箇所に、かつて堀切りが存在していたといわれており、このことから3つの郭を直線状に配置した城と想定されてい... 続きを読む
  • 花輪城址公園が城址市内では深井城・前ヶ崎城・名都借城とともに存在した、中世城郭の一つです。十六世紀戦国期に松戸市小金の大谷口城を本拠地として、周辺一帯を支配していた高城氏に属する城でした。花輪城は高城氏が滅亡した十六世紀末には、その役割を終えたと考えられています。琵琶首観音堂は、かつて県道付近に本堂があった、真言宗西福寺境内の観音堂です。公園内に保存整備された、花輪城の空堀と観音堂の基壇・礎石が、... 続きを読む
  • 香取神社周辺に土塁が残る鷲野谷集落の東方、手賀沼南岸に向かって突出した標高20m前後の台地上にあったと伝える。この地は、建武三年(1336)相馬親胤が領している(『相馬文書』)。戦国時代には高城氏の支配下にあったと推察され、城主はその家臣の染谷氏であったといわれる。今日、鷲野谷地区には染谷姓の旧家が多数点在しているという。現在、台地は削平され原形を失っている。かつては字城山の地区に土塁・空堀・犬走りが... 続きを読む
  • 病院側の土塁鎌倉時代、この地域の支配者は相馬氏であった。13世紀後半の「相馬胤村譲状案」には「後家分」として譲られた土地として「箕匂(みのわ)・薩摩(佐津間)・増尾」の地名が見える。応永年間の相馬氏の所領書上忠信状でも「みのわ」が見えるので、この間ずっと相馬氏の支配下にあったと思われる。しかし、現在見られる遺構は戦国期のものであり、戦国期にかなり手が加えられていると考えられる。「葛飾郡誌」では「戸張... 続きを読む

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城館リスト Aug 17, 2030
須影八幡神社 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
長光寺 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
源長寺 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
葛浜氏館 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019

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