星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!! 2017年10月 - 古城巡り 写真館
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  • 伊賀城館を巡る・伊賀上野城福地城柏野城百地丹波城... 続きを読む
  • 百地丹波城伊賀三大上忍の一人とされる百地丹波守の砦跡で、近くに菩提寺である青雲禅寺があります。また、百地伝説にまつわる式部塚があり、縁切り祈願のお参りが今もあります。百地氏は伊賀流の忍者、百地丹波守が有名ですが、史実としてはほとんどわかっていません。しかし、天文十三年(1544)の史料に「喰代百地殿」と見えることから、戦国時代には北伊賀地域の有力な土豪うとして知られていたようです。百地氏城跡に代表される... 続きを読む
  • 柏野城(別名・福島城)は、築城年代は定かではないが、福島宗雄によって築かれたといわれています。平成元年4月、市指定史跡に指定。天正9年(1581)9月27日、丹羽長秀、滝川益一ら12,000余りの織田軍が柘植口から攻め入り、柏野城には伊賀北東部の伊賀衆が立て籠って抗戦しましたが多勢に無勢でたちまちのうちに敗れました。この他にも、伊賀地区には中世城館跡が500ヵ所以上あり、代表的なものに福地城跡や竹島城跡、壬生野城跡があ... 続きを読む
  • 福地城城主の福地氏は、平清盛の末裔を称した土豪で、柘植の有力な国人「柘植三方(日置氏・北村氏・福地氏)」を構成した氏族。祈願寺は長福寺(現・万寿寺)と推定され、本尊の地蔵菩薩像の内部から発見された南北朝時代の文書に「ふくちの御てら」とある。この文書には「やなき」という女性から「ふくちの御てらの了賢房」へ宛てた書状が含まれるが、了賢房はやなきの子で、いずれも福地氏の一族と推定される。福地氏は正長2年... 続きを読む
  • 伊賀上野城天正13年(1585)に筒井定次が平楽寺・薬師寺のあった台地に近世城郭としての伊賀上野城を築きました。菊岡如幻の『伊水温故(いすいうんご)』によれば、城は高丘の頂上を本丸とし、東寄りに三層の天守閣を建て、城下町は古くから開けた北側(現在の小田町)を中心としました。慶長13年(1608)6月、筒井定次は改易となりましたが天守閣は、寛永10年(1633)頃に倒壊したと推定されます。伊賀上野 筒井氏時代天守跡伊... 続きを読む
  • 真間の継橋(ままのつぎはし)は、千葉県市川市にかつて存在した橋で、日本百名橋の番外に選ばれた。 現在は川自体が存在せず、当地には石碑と説明板、橋の欄干を模した記念物が建てられている当時、この一帯は「真間の入江」と呼ばれる海岸地帯で、蘆の生い茂った砂洲がひろがっていた。 真間の継橋とは下総の国府があった国府台へ向かうための橋で、砂洲を中継地点として複数の板橋を架け渡してあったことからこの名を得たとされ... 続きを読む
  • 国府台城享徳の乱の初期に発生した千葉氏の内紛の際に、宗家側の生き残りであった千葉実胤・自胤兄弟が籠城したが、1456年(康正2年)に陥落(市川合戦)、水運にて栄えた市河津を背後に持ち府中として栄えた市川は大きく衰退し、軍事的・経済的な要所は宗家方勢力(武蔵千葉氏)が落ち延びた武蔵国石浜城や江戸城、反宗家勢力(下総千葉氏)の拠点の1つであった小金城に移ることになる。その後、扇谷上杉家の家臣であった太田道灌... 続きを読む
  • 大塚城 天狗沢城 松崎城鹿沼市下粕尾 城館位置大塚城 遠景天狗沢城 遠景松崎城 遠景... 続きを読む
  • 高山城~百間築地・要害山城高山城 百間築地に在る説明板百閒築地 模擬石垣要害山 横堀要害山 横堀要害山城 主郭の石祠高山城~天屋城天屋城 屈折する竪堀天屋城 二重堀切天屋城 岩堀切天屋城 主郭天屋城 堀切1㊟イメ-ジ図になります♪(o・ω・)ノ))高山城は、鮎川を挟んで、平井金山城と向かい合うような位置にある。城址周辺は、ツインレイクヒルズカントリークラブの敷地となっています。高山城は地元豪族であった、... 続きを読む
  • ㊟イメ-ジ図になります(。>ω<。)ノ... 続きを読む

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城館リスト Aug 17, 2030
須影八幡神社 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
長光寺 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
源長寺 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
葛浜氏館 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019

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