現在の城館・史跡を紹介して行きます!!そしてキャンプ覚醒へ・・・・・又動画の為の再び再登城を!!・・
沼田藩~真田氏が改易に伴い、沼田城は破却されました。 天領の後、徳川譜代の本多、黒田、土岐氏が幕末迄続きましたが本格的な城の再建はされなかったと思われます。沼田城三の丸に位置する場所に藩邸を再建されました。旧沼田城のジオラマ~奥の旗の手前が藩邸跡沼田藩邸~沼田城と藩邸(旧土岐氏住宅内に展示)旧沼田城ニノ郭から見た藩邸跡(奥の林向こう側が跡地)にほんブログ村大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼン...
原太助は寛保3年に下新田宿で生まれ、19歳の時に江戸に奉公に出ました。山口家に23年間奉公中に湯島無縁坂の改修や渋茶の接待所の開設、天神峠に常夜燈の建立などの偉業を行い、本所に独立した後は豪商として名を馳せました。後に「本所にすぎたるものが2つあり津軽大名、炭屋塩原」と云われるほど巨万の富を築いたとされます。文化13年8月14日没、享年74歳。 愛馬、あおとの別れの一場面塩原太助資料館塩原太助翁記...
但馬院の境内は古くは"諏訪の木城"と呼ばれた平城で関但馬守が支配していました。戦国時代、上杉氏の関東侵攻により諏訪の木城は落城、当時の城主関義範の子義全は命は助けられ剃髪し当寺を開山しました。その後は11世不可得尊師、12世南寿法印薫山などの名僧を輩出しています。境内には安永7年に建立され、宿場の火事を防いだという伝説を持つ"火伏せ地蔵"が安置されています。沼田横堂三十三観音霊場第八番札所。 諏訪の木...
上州沼田城~小田原征伐のきっかけの地!!2016年8月27日(土) 真田丸展に誘われ再々度沼田を、訪れました、詳細はデジブックを御覧下さい沼田城・鐘楼真田信之と小松姫旧土岐家住宅・洋館沼田城大手門跡諏訪の木館跡 みなかみ町...
滝尾山城 再登城 2016.8.21皆川氏家臣高木讃岐規衡がこの地に居住。 佐野氏家臣赤見内蔵介広孝が高木讃岐規衡の要請により入城、南摩氏を称す、その後天正4年(1576)秀村の時城が完成するが、壬生上総介義雄に攻められ、壬生氏家臣一色右衛門が入城し壬生氏の滅亡と共に廃城。 遺構の残存状態は良好です。城址入り口~招魂社主郭北側の堀切詰城の主郭部伝説の鏡岩詰城、郭4の横堀大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリ...
加園城 2016.8.21天文20年(1551)渡辺右衛門尉綱重が築城したと伝えられる。 渡辺氏は代々宇都宮氏の重臣だったと言われるが、壬生氏や皆川氏の家臣になったりもしたらしい。 遺構の残存状態は南の一部以外良好。加園城遠景城址看板~ニノ郭加園城向かいの支城独鈷山城~加園城と連携した城、 採石の為消滅大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )にほんブログ村...
㊟イメ-ジ図になります下沢城遠景 麓の砂防ダムからの急登のハイキングコ-スになります下沢城=背戸山 山頂をピ-クで奥に向かい遺構が広がります下沢城麓の下沢館 遠目からも土塁が見えますこの下沢城は、二股山のハイキングコ-ス内に有り迷う事なく行ける山城です。詳細な歴史については不明2016.8.20大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )にほんブログ村...
真壁城2016改真壁駅跡の東に位置し、加波山系の足尾山西麓にある台地上に築かれた連郭式の平城である。また、古代の真壁郡家が存在したとも言われ、真壁郡の中心地に位置していた。西に本丸を同心円状に囲む二ノ丸があるほか、二ノ丸の東側に三の郭(中城)・四の郭(外郭)が続き、外郭南東端には鹿島神社が祭られている。築城は承安2年(1172年)と伝わる。大掾直幹の子・長幹が真壁郡に入って真壁氏を名乗り、郡家の場所に築城...