星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!! 史跡 - 古城巡り 写真館
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  • 本能寺の変で織田信長が倒れた後、明智光秀を討ち実質的な主導権を握っていた豊臣秀吉と、織田家の旧臣中第一の家柄を誇る柴田勝家との間で権力争いが生じ、ついに武力をもって決着を付けようとしました。これが俗にいう「賤ヶ岳の合戦」です。余呉湖を挟んで、両軍は北と南で睨み合っていましたが、天正11(1583)年の4月20日の未明、勝家側が大岩山に奇襲攻撃をかけた時に始まり、秀吉が勝利を手にするまで、わずか2日足らずで終... 続きを読む
  • 市指定史跡善長寺 群馬県館林市館林城主榊原忠次の母「祥室院」は、下総国関宿(現在の千葉県野田市(旧東葛飾郡関宿町))城主松平因幡守家元(徳川家康の異父弟)の娘で、榊原康政の長子 遠江国横須賀(現静岡県掛川市)城主の大須賀忠政に嫁ぎ忠次を生みました。 忠政が慶長12年(1607年)に病没すると、徳川家康の命により伊勢国長島(現在の三重県桑名市長島町)城主菅沼定芳に再嫁し、元和9年(1623年)に近江国膳所(現在... 続きを読む
  • [高画質で再生]足袋蔵のまち 行田[広告] 忍城の城下町行田の裏通りを歩くと、時折ミシンの音が響き、土蔵、石蔵、モルタル蔵など多彩な足袋の倉庫「足袋蔵」が姿を現す。行田足袋の始まりは約 300 年前。武士の妻たちの内職であった行田足袋は、やがて名産品として広く知れ渡り、最盛期には全国の約8割の足袋を生産するまでに発展した。それと共に明治時代後半から足袋蔵が次々と建てられていった。今も日本一の足袋産地として和... 続きを読む
  • 伝承では、将門の首級は平安京まで送られ東の市、都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされる。伝承地は数か所あり、いずれも平将門の首塚とされている。 その中でも最も著名なのが、東京都千代田区大手町一丁目2番1号外(地図)三井物産本社ビル傍にある首塚である。かつては盛土と、内部に石室ないし石廓とみられるものがあったので、古墳であったと考えられている。 江戸時... 続きを読む
  • 小塚原回向院  小塚原回向院は本所回向院の住職弟誉義観が、行路病死者や刑死者の供養のため、1667年に小塚原刑場の傍らに開いた寺院です。文政5年(1822)津軽藩主津軽寧親を襲撃した南部藩出身の相馬大作を処刑して以降、国事犯の処刑場となったため、橋本左内、頼三樹三郎、吉田松陰や鼠小僧、高橋お伝の墓など多くの供養碑があります。明和8年(1771)蘭学者杉田玄白・中川順庵・前野良沢らが、小塚原で刑死者の解剖に立ち合... 続きを読む

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城館リスト Aug 17, 2030
須影八幡神社 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
長光寺 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
源長寺 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019
葛浜氏館 埼玉県羽生市 Sep 15, 2019

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