現在の城館・史跡を紹介して行きます!!そしてキャンプ覚醒へ・・・・・又動画の為の再び再登城を!!・・
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朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向一揆(越前一向一揆)を平定した功績によって、越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が、天正3年(1575年)に自らの縄張りによって築城を開始する。同11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに勝家が敗れ、妻・市と共に自害すると城にも火が放たれ、建造物のほぼ全てが焼失することになるが、その後も青木一矩が北ノ庄城に封じられたという記録が残っている。1601年より柴田氏の北ノ庄城の跡地に、新た...
丸岡城 2011.7.10現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ヶ城の別名の通り、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しい。戦国時代の天正4年(1576)一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせました。丸岡城築城400年を記念して造られた日本庭園式公園があり歴史民俗資料館には、歴代城主ゆかりの品が展示されています。また、園内には400本のソメイヨシノが植えられ、日本のさくら名所...
一乗谷の木戸口現在の福井市街の東南方向約10キロメートル離れた、九頭竜川支流の足羽川の、さらに支流である一乗谷川沿いの谷あいにある。戦国時代の城下町と館跡、および背後の山城から構成される。 一乗谷は東西約500メートル、南北約3キロメートルと狭小だが、福井平野の端から山地に入ってすぐの場所に位置し、数キロメートル先の目前に北陸道や大野盆地(大野市)に通じる美濃街道、鹿俣峠を抜け越前府中(越前市)へ続く街...
吉崎御坊 丸岡城吉崎御坊浄土真宗中興の祖・蓮如上人が比叡山を追われて以後、北陸での布教の中心拠点に選んだ場所。現在でも付近一帯は「蓮如の里」と呼称されており全国からの参拝者が絶えない。毎年4月に盛大に開かれる「蓮如忌」は吉崎最大の伝統行事として賑わう。500年の伝統が息づく国指定史跡。 丸岡城丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ケ城の別名のとおり春の満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的で...
大野城福井県大野市 天正3年(1575)、織田信長は一向一揆が支配していた大野郡を金森長近と原政茂の両名に平定させ、大野郡の3分の2を長近に、3分の1を政茂に与えたといわれています。長近は程なく亀山に平山城の城郭と、その東麓に、大野が北陸の小京都と呼ばれる所以となる、短冊状の城下町を造り始めました。 長近は天正14年(1586)に飛騨高山に転封となり、その後は城主がたびたび交代しました。江戸初期には松平...