FC2ブログ
星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

北ノ庄城 福井県福井市

朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向一揆(越前一向一揆)を平定した功績によって、越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が、天正3年(1575年)に自らの縄張りによって築城を開始する。同11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに勝家が敗れ、妻・市と共に自害すると城にも火が放たれ、建造物のほぼ全てが焼失することになるが、その後も青木一矩が北ノ庄城に封じられたという記録が残っている。1601年より柴田氏の北ノ庄城の跡地に、新たに結城氏によって北ノ庄城が築城されたため、現在では柴田氏の遺構を見ることは出来ない。
平成5年(1993年)から6度にわたるの発掘調査の結果、本丸の推定位置である柴田神社の地下から、石垣の跡と思われる石が出土したが、本丸の正確な位置を完全に特定するまでには至っていない。




20151031123803401柴田勝家
柴田勝家像 柴田神社~北ノ庄城




城は足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されており、天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられている。
柴田時代の建築をしのばせる史料として、宣教師のルイス・フロイスが天正9年(1581年)に北ノ庄を訪問したときの記録があるが、それによると「城及び他の屋敷の屋根が全てことごとく立派な石で葺かれており、その色により一層城の美観を増した」とある。この「石」とは、城に程近い足羽山で産出される笏谷石のことであり、現在発掘調査で見出された柴田時代の石垣は笏谷石であるし、北ノ庄城とほぼ同時期に勝家の養子、柴田勝豊によって築城された丸岡城の天守も笏谷石製の石瓦で葺いている。また、町の規模が安土の2倍ほどもあること、勝家によって足羽川に架橋された九十九橋についても言及がある。次に、勝家を攻め滅ぼした羽柴秀吉が戦後間もない天正11年4月25日に毛利氏の重臣・小早川隆景に送った書簡には、「城中に石蔵を高く築き、天守が九重」であった旨の記述がある



北ノ城 石垣
発掘により出土した、北ノ城 石垣 柴田神社





柴田神社
天正十一年四月二十四日、北の庄城落城の後、 その天守閣跡に石祠を建て勝家公の霊を祀り、当時の藩士が毎年四月の二十四日に祭祀を行ってきた。
明治六年「祠」は神社格に列せられ、氏子、崇敬者を有するようになった。これが柴田神社の始まりである。
柴田神社は「勝家公・お市の方」ご夫婦。
「娘三人の姫」三姉妹を御祀りしておることから、夫婦・兄妹・家族の絆を御神得とする。

2011.7.10

スポンサーサイト



丸岡城 福井県坂井市

丸岡城 2011
丸岡城 2011.7.10



現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ヶ城の別名の通り、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しい。
戦国時代の天正4年(1576)一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせました。
丸岡城築城400年を記念して造られた日本庭園式公園があり歴史民俗資料館には、歴代城主ゆかりの品が展示されています。
また、園内には400本のソメイヨシノが植えられ、日本のさくら名所100選に認定されており、4月には城下で丸岡城桜まつりが行われます。
丸岡は、天正4年(1576年)、柴田勝家の甥の勝豊が丸岡城を築き、城下町を整備したのが都市的起源とされています。丸岡城は柴田勝豊によって築城され、国の重要文化財です。外観は二層、内部は三層の望楼型天守閣で石垣は”野づら積み”という古い方式で、すき間が多く粗雑な印象ながら排水がよく大雨に崩れる心配がないといわれています。
柴田勝豊の後、城主は、安井家清・青山宗勝・青山忠元を経て慶長18年(1613年)に、本多成重に代わったが、本多氏は4代で改易。元禄8年(1695年)、越後糸魚川から有馬清純が5万石で入城し、幕末に至るまで8代続きました。






[福井県坂井市丸岡町霞町1丁目59]

大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

朝倉氏館 福井県福井市

朝倉遺跡入り口
一乗谷の木戸口
現在の福井市街の東南方向約10キロメートル離れた、九頭竜川支流の足羽川の、さらに支流である一乗谷川沿いの谷あいにある。戦国時代の城下町と館跡、および背後の山城から構成される。
一乗谷は東西約500メートル、南北約3キロメートルと狭小だが、福井平野の端から山地に入ってすぐの場所に位置し、数キロメートル先の目前に北陸道や大野盆地(大野市)に通じる美濃街道、鹿俣峠を抜け越前府中(越前市)へ続く街道、北陸道と連絡した朝倉街道などが通る、交通の要衝をすぐ押さえられる位置であった。
一乗谷は東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要害で、南北に城戸を設け、その間の長さ約1.7キロメートルの「城戸ノ内」に、朝倉館(武家屋敷)をはじめ、侍屋敷、寺院、職人や商人の町屋が計画的に整備された道路の両面に立ち並び、日本有数の城下町の主要部を形成していた。周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地域全体が広大な要塞群であった。




一乗谷朝倉氏遺跡





朝倉遺跡 復元
復元された一乗谷の街並み





一条谷朝倉館
朝倉氏館 唐門
朝倉館跡正面の堀に面して建つ、幅2.3メートルの唐破風造り屋根の門(向唐門)。朝倉氏の遺構ではなく、のちに建てられていた松雲院の寺門として朝倉義景の菩提を弔うために作られたと伝わる。門表には朝倉家の三ッ木瓜の紋が刻まれている。現存するものは江戸時代中期頃に再建されたものである。




朝倉館 堀
館前の堀



一乗谷の中心部に位置する朝倉家当主が居住した館である。東側後背に山城があり、西、南、北の三方を高さ1.2メートルないし3メートルほどの土塁で、その外側を幅約8メートル、深さ約3メートルの堀で囲んでいる。三方の土塁にはそれぞれ隅櫓や門があった。西方にある門が正門(御門)であり、現在は唐門が建てられている。平坦部の面積は約6,400平方メートルあり、内部には17棟の建築物があった。館内最大の常御殿(東西約21.4メートル、南北約14.2メートル)を中心に、南側には主殿や会所・数寄屋・庭園・花壇など接客用の施設群が、北側には台所や持仏堂・湯殿・蔵・厩など日常生活のための施設群が存在した。建物はすべて礎石に角柱を立てて建てられており、屋根はこけら板等を葺いていたと考えられているが、鬼瓦や棟石等も発掘されている。舞良戸や明障子などの引き戸を多用し、畳を敷きつめた部屋も多かったとされる。




朝倉館 上より
後方上から見た館内
2011.7.11

吉崎御坊 丸岡城

吉崎御坊 丸岡城

吉崎御坊

浄土真宗中興の祖・蓮如上人が比叡山を追われて以後、北陸での布教の中心拠点に選んだ場所。現在でも付近一帯は「蓮如の里」と呼称されており全国からの参拝者が絶えない。毎年4月に盛大に開かれる「蓮如忌」は吉崎最大の伝統行事として賑わう。500年の伝統が息づく国指定史跡。

w300h300PMV7GZYW吉崎御坊

丸岡城

丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ケ城の別名のとおり春の満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しいものとなっています。
 戦国時代の天正4年(1576年)一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせました。標高約17mの独立丘陵上に立地する平山城で、現存する天守閣としては最古級のものになります。
 天守閣は本丸の南西部に位置し、高さが約6.2mの野面積みされた石垣の天主台のうえに、そびえたちます。二重三階望楼型独立式という形式で、通し柱はなく、1階が2・3階を支える構造となっています。また、屋根瓦は全国的にも珍しい石製の瓦(笏谷石)が使用されています。
 丸岡城築城400年を記念して造られた日本庭園様式の公園があり、歴史民俗資料館には、歴代城主ゆかりの品が展示されています。
福井県坂井市hpより

w300h300TIE9KZH9丸岡城

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

大野城~現在天空の城で売り出し中!!

大野城

福井県大野市



w300h300大野城

 天正3年(1575)、織田信長は一向一揆が支配していた大野郡を金森長近と原政茂の両名に平定させ、大野郡の3分の2を長近に、3分の1を政茂に与えたといわれています。長近は程なく亀山に平山城の城郭と、その東麓に、大野が北陸の小京都と呼ばれる所以となる、短冊状の城下町を造り始めました。
 長近は天正14年(1586)に飛騨高山に転封となり、その後は城主がたびたび交代しました。江戸初期には松平氏、天和2年(1682)には土井利房が入封するにいたり、廃藩まで土井氏が城主を務めました。
 当時の大野城は、本丸に望楼付き2層3階の大天守と2層2階の小天守・天狗櫓などを置き、麓に二の丸、三の丸があり、二重の堀と川をつないで城を守っていました。石垣は野面積みで積まれています。
 江戸時代には町の大火により、城も幾度か類焼し、安永4年(1775)には本丸も焼失しましたが、寛政7年(1795)に再建されました。廃藩後、城の建造物は取り壊され、石垣のみが残されました(福井県指定文化財)。
 現在の天守閣は昭和43年(1968)、旧士族の萩原貞氏の寄付により、往時を推定して再建されたものです。内部には土井氏の遺品などを展示し、資料館として活用しています。
大野市hpより

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村