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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!!

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古城巡り 写真館

本栖口留番所 山梨県富士河口湖町

本栖口留番所は、甲駿を結ぶ中道往還の国境本栖湖畔にあったとされる。本栖口留番所の在った場所は、その長い歴史の経過とともに様変わり、近年に至り国道139号線拡張により大きく改変され復時の面影はすでに消滅している。その場所は、本栖三又路の南側、山神社北辺り、神社手前を湖畔に下がる旧道脇であったとされる。江戸時代の甲斐24口留番所の内の一つであり、武田信虎、信玄統治下の戦国時代には古関口留番所と共に、この地...

渡辺氏屋敷 山梨県富士河口湖町 2020.1.27

  天正十年(1582)に武田氏が織田信長に滅ぼされ、また信長が同年の本能寺の変で斃れると、 囚獄佑は徳川家康に従った。囚獄佑は家康を新府城へ案内し、その後本栖城に拠って北条氏対峙した。この功により、囚獄佑は戦後家康から九一色郷における商売の特権を得たとされる。天正十八年(1590)、囚獄佑は家康の関東入国に従ったとされる。本栖の館もこのときに廃されたとみられる。硝煙屋敷*屋敷跡には石積が残るが全てが...

本栖城 山梨県富士河口湖町

㊟イメ-ジ図になります♪(o・ω・)ノ))本栖城跡近くを通る街道は古来より『中道往還』と呼ばれ、駿河と甲斐を最短距離で結ぶ街道として人々に利用され、また経済・軍事的に重要視されていた。このような街道に監視の目的で城が築かれるのは必然であり、本栖城もその様な背景から築城されたとされる。なお甲斐国志には「里人 源吉春と云うの城と云伝ふれども、其の人未だ考えず。天文・永禄中、武田の文書に本栖城云云と見えたるは...

要害山城 山梨県甲府市

要害山城㊟イメ-ジ図になります(-ω-)/『高白斎記』に拠れば、築城は武田信虎時代の永正17年(1520年)6月であるという。武田氏は前年に居館を石和の川田館(甲府市川田町)から躑躅ヶ崎館(甲府市古府中町)へ移しており、駒井政武の領地であった積翠寺郷の丸山が城として取り立てられ、館の詰城として砦や狼煙台が築かれたという。 同年には駿河の今川氏勢の武将福島正成が駿州往還(河内路)を甲斐へ侵攻し甲府へ迫っており、信...

甲府城 山梨県甲府市

甲府城舞鶴城址公園/甲府城天正10(1582)年に武田氏が滅びると、甲斐は織田信長の領国となりましたが、本能寺の変後は徳川家康の支配下となり、平岩親吉が城代になりました。豊臣秀吉が天下統一を果たすと、徳川家康は関東に移され、甲斐は秀吉の甥にあたる羽柴秀勝が支配することになりました。秀勝の移封後は、加藤光泰が、光泰が文禄の役で没すると浅野長政・幸長の支配となりました。発掘調査により、城内の各曲輪から浅野家...