星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!! 古城巡り 写真館
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古城巡り 写真館

〜PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・〜
城館リスト 2030.08.17
小田原城古郭(平野部) 2016改 神奈川県小田原市 2019.10.12
唐沢山城2019 栃木県佐野市 2019.09.24
松前城 愛媛県伊予郡松前町 2019.09.22
今治城 愛媛県今治市 改 2019.09.22

城館リスト

羽生城イメ-ジ図刻印入



かつて日本には5万とも6万とも云われる城が存在したと言われる。実際にはただ柵で囲われただけの砦のようなものもあり、文書に残っているのみでその存在が証されたのではないものも含まれるが、それでも相当数存在していたことは確かだ。しかし、数多くの戦や藩主の転封の度に廃城になったり破却されたりとその数は次第に減っていき、江戸後期にはその総数およそ200(天守)。さらにその後の明治維新の廃城令や戦争、火災、天災を免れて現在もその姿を残しているのは12城(現存天守)しかない。それ以外の現在見られる城は戦後新たに再建復興されたもの。古くに廃城になったものは、現在では打ち捨てさられ忘れられ、その城跡すらもただの野山と見分けがつかないようなものも多いのだ。天守や城郭が往時のまま現存しているのは丸岡城犬山城松本城彦根城松江城高梁城(備中松山城)、丸亀城、姫路城松山城、高知城、宇和島城弘前城12城
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小田原城古郭(平野部) 2016改 神奈川県小田原市





北条早雲氏は、居館を今の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山(現在の小田原高校がある場所)を詰の城としていた。だが、建築者は、不明である。 居館部については北条氏以前の大森氏以来のものとするのが通説であるが、大森氏時代にはより東海道に近く15世紀の遺構が実際に発掘されている現在の三の丸北堀付近にあったとする異説もある。3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。
最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた。慶長19年(1614年)、徳川家康は自ら数万の軍勢を率いてこの総構えを撤去させている。地元地方の城郭にこのような大規模な総構えがあることを警戒していたという説もある。ただし、完全には撤去されておらず、現在も北西部を中心に遺構が残る。古地図にも存在が示されており、小田原城下と城外の境界であり続けた。明治初期における小田原町の境界も総構えである。
北条氏没落後に城主となったのは大久保氏であるが、2代藩主大久保忠隣の時代に政争に敗れ、一度改易の憂き目にあっている。一時は2代将軍秀忠が大御所として隠居する城とする考えもあったといわれるが、実現しなかった。その後、城代が置かれた時期もあったが、阿部氏、春日局の血を引く稲葉氏、そして再興された大久保氏が再び入封された。小田原藩は入り鉄砲出女といわれた箱根の関所を幕府から預かる立場であった。





八幡山東曲輪から見た近世小田原城(模擬)
八幡山古郭東曲輪から見た近世小田原城(模擬)




北条氏政・氏照墓所
北条氏政・氏照墓所




小田原城は中核部が二の丸総堀、三の丸総堀、総構堀によって三重に囲われた構造となっている。二の丸総堀は平地部及び八幡山古郭外周の堀が繋がったものである。三の丸総堀は近世城郭部の三の丸堀に加え、南側の天神山丘陵の尾根を走る空堀、そして最西端の小峰大堀切によって構成される。小峰大堀切は中世城郭部最大の遺構である。東側へと伸びる八幡山丘陵、天神山丘陵、谷津丘陵が集まる点にあり、各丘陵と西側の山地部を切断している。総構堀は上述のように小田原の町全体をとりかこんだ、連続した空堀と水堀である。山地部の空堀は小峰大堀切よりさらに西の小田原城最高所となるお鐘の台をとりこんでおり、ここから北西部の桜馬場、稲荷森の総構堀は比較的よく残る。平地部の水堀は消滅、あるいは暗渠化したが、南西部の早川口や東部の蓮上院近辺に辛うじて土塁が残る。






蓮上院土塁
蓮上院土塁




幸田門跡改
幸田門跡 上杉謙信、武田信玄がこの門から攻めたとされる





早川口遺構
早川口遺構




三ノ丸外郭新堀土塁
三ノ丸外郭新堀土塁



小田原城を包囲する、豊臣方布陣
小田原城を包囲する、豊臣方布陣





唐沢山城2019 栃木県佐野市

唐沢山城改@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります(。>ω<。)ノ









佐野市街地の北方約5キロメートルの唐沢山(247メートル)山頂を本丸として一帯に曲輪が配された連郭式山城である。戦国時代において、佐野氏第15代当主・佐野昌綱による唐沢山城の戦いで有名で、上杉謙信の10度にわたる攻城を受けたが、度々撃退して謙信を悩ませた。関東地方の古城には珍しく高い石垣が築かれているのが特徴である。続日本100名城に選ばれた。
現在は栃木県立自然公園の一部となっており、本丸に築城主と伝えられる藤原秀郷を祀る唐沢山神社が鎮座する。杉郭跡には栃木県唐沢青年の家が建てられたが、平成19年(2007年)3月31日閉所した。遺構として石垣、大手枡形、土塁、堀切、土橋、近世に復元された井戸などが残っている。





_DSC6737城址碑



築城は平安時代の延長5年(927年)に、藤原秀郷が従五位下・下野国押領使を叙任、関東に下向し唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。 天慶3年(940年)平将門による天慶の乱が起こったが、秀郷らの活躍で乱を鎮圧した。この功績により秀郷は従四位、武蔵・下野両国鎮守府将軍を拝領した。 また、一説にはこの乱を鎮圧した天慶3年から築城が開始され天慶5年(942年)に完成したと伝えられる。その後、5代にわたりここに居城した後、6代成行は足利荘に移り一時廃城となった。
平安時代末期の治承4年(1180年)9代俊綱の弟成俊は再びここに城を再興し、佐野氏を名乗った。鎌倉時代に入った建保元年(1213年)成俊は30余年の歳月をかけて城を完成させた。
以上のような伝承がある一方で、最近の研究では唐沢山城の起源は15世紀後半までしか遡らないことが明らかにされている。秀郷築城が伝承された背景には、唐沢山城主の佐野氏の先祖が藤原秀郷であるからであるといわれる。
室町時代中期の延徳3年(1491年)には佐野盛綱が城の修築を行った。
戦国時代の佐野氏は相模の北条氏、越後の上杉氏の二大勢力に挟まれどちらに付くか苦悩した。当初、越後の上杉謙信と結んだ佐野昌綱は、永禄2年(1559年)北条氏政に3万5千の大軍をもって城を包囲された。謙信は即座に援軍を差し向け北条軍を撤退させた。
唐沢山城(佐野)は謙信においては関東における勢力圏の東端であり、佐竹氏をはじめとする北関東の親上杉派諸将の勢力圏との境界線でもあったため、特に重要視されたと考えられている。
昌綱の子・宗綱は弟で上杉氏の養子に入った虎松丸と不和になり、一族間で「唐沢山天正の乱」と呼ばれる争いが起こった。これにより佐野氏は上杉氏と決別するに至った。天正4年(1576年)虎松丸に加勢した上杉謙信は1万5千の兵をもってこの城を攻めたが、一族の結城氏・小山氏・皆川氏などの加勢により上杉軍を撤退させた。それまでも9度にわたり上杉軍の攻城を受け、城主・昌綱は何度も降伏したものの、謙信を大いに手間取らせた。この堅固さは評判となり関東一の山城と賞賛された。
上杉氏と決別し孤立化した佐野氏は、天正15年(1587年)に北条氏康の五男・氏忠を養子に迎え北条氏と和議を結んだ。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐では、当主の佐野房綱は豊臣方に付き城内の北条勢を一掃した。文禄2年(1593年)豊臣氏家臣富田一白の二男・信種を養子に迎え、秀吉の偏諱を賜り佐野信吉と名乗った。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは信吉は徳川家康方に付き3万5千石の旧領を安堵され佐野藩が成立した。慶長7年(1602年)麓に佐野城が築かれ平安時代より続いた唐沢山城はその歴史に幕を閉じた。廃城に至った説として、江戸に火災があったとき、山上にある唐沢山城よりこれを発見し早馬で江戸に駆け参じたが、江戸を見下ろせる所に城を構えるは何たることかと家康の不興を買ったと言う話がある。また、江戸から20里(80キロメートル)以内の山城は禁令されていたとの説もある。






_DSC6702土櫓の石垣
土矢倉の石垣




_DSC6724権現堂付近堀切
権現堂手前の堀切




_DSC6811南東尾根土橋2
南東尾根土橋




_DSC6893北東尾根石垣
北東尾根石垣




_DSC6745南側は北条方を
天狗岩から、南側は北条方を




_DSC6747西側は越後方を
天狗岩から、西側は越後方を




_DSC6788南城の石垣
南城の石垣




_DSC6829本丸の高石垣
本丸の高石垣





二ノ丸から本丸を見上げる
二ノ丸から本丸を見上げる









[栃木県佐野市富士町1409]2019.9.24登城

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