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平井城 群馬県藤岡市 2017.10.8改

平井城 2017.10.8









関東管領家の山内上杉氏の最後の居城。同市平井地区の鮎川左岸の断崖上に築かれていた。1438年(永享10)に起こった永享の乱で、鎌倉公方足利持氏と対立して上野国に逃れた関東管領の山内上杉憲実が、重臣の長尾忠房(総社長尾氏)に命じて築かせたともいわれるが、築城時期・築城者については諸説ある。その後、1467年(応仁1)に、関東管領の上杉顕定が城の大改修を行い、関東管領府を置いた。以後、上杉憲政に至るまで関東管領職を継いだ山内上杉氏の居城となった。1545年(天文14)、憲政は扇谷上杉朝定、古河公方足利晴氏らとともに8万ともいわれる軍勢で、北条氏の川越城(河越城、埼玉県川越市)を包囲したが、翌年4月の川越野戦において小勢の北条氏康の奇襲攻撃を受けて壊滅、扇谷上杉朝定は戦死し、憲政は平井城に逃れた。その翌年の小田井原の戦いでも武田晴信(のちの武田信玄)に大敗して勢力を急速に衰えさせ、1551年(天文20)に北条氏康が2万の軍勢で平井城攻略に乗り出すと、憲政は同城を捨て春日山城(新潟県上越市)の長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼って越後に脱出。平井城には嫡男龍若丸が残ったが、北条氏に降伏・開城した。城を占領した北条氏康は叔父の北条幻庵長綱を平井城主としている。その後、長尾景虎により平井城は奪還されたが、1560年(永禄3)に景虎が関東に出陣した際、厩橋城(前橋市)を関東における拠点としたことから、平井城は廃城となった。現在、城跡は関東管領平井城趾公園として整備され、土塁や内堀、橋などが復元されている。同城の南西部にある平井金山城は、平井城の詰めの城である

当時としては、広大な城下町がこの地に広がっていた!!




金井城 石碑
平井城 石碑



金井城 本丸土塁
平井城 本丸土塁




金井城 土塁と堀のライン
平井城 土塁と堀のライン




金井城 堀
復元された堀




完成 平井城@ヤマシロ
㊟現地説明板を参考にしたイメ-ジ図になります(=゚ω゚)ノ






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