現存12天守~古より残る天守~







城の象徴である天守は織田信長に始まったともいわれ、関ヶ原の戦い前後に築城の最盛期を迎えるが、江戸幕府の一国一城令による破却で城郭の数は減少するとともに、武家諸法度により新たな築城や増改築は禁止された。また、江戸時代を通じて災害などによる焼失や倒壊によって、その後は再建されなかった天守もあったため(江戸城・大坂城など)、その数は減少の一途であった。しかも、幕末から明治にかけての戦乱や明治政府の廃城令に伴う撤去、また天災や第二次世界大戦(太平洋戦争)での空襲などにより、更に失われた。
1940年代までは20城の天守が現存し、戦前・敗戦直後までは国宝保存法で国宝などの文化財に指定され現存天守と呼ばれていた。これらのうち1945年(昭和20年)にアメリカ軍の攻撃によって水戸城・大垣城・名古屋城・和歌山城・岡山城・福山城・広島城の7城の天守が焼失し、1949年(昭和24年)に失火によって松前城天守が焼失した。現在、文化財として見ることができる天守は主に残る12城の天守のみとなっており、現存12天守と総称される。


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(高知城及び丸亀城は未登城
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