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小原沢古戦場(戊辰戦争)

小原沢古戦場



小原沢付近では、幕府と会津藩の連合軍が村民を総動員し自然の地形を利用して要塞化、理想的な陣地を作った。細い上り坂になっている陣地前の道を登ってくる官軍勢を迎え撃った。会津軍の目論見どおり、官軍が大敗した。この地点の攻防は、歴史に残る激戦となり両軍併せて21名が戦死した。
 この地点の戦死者の慰霊碑として、激戦の行われた日と同じ6月26日に建てられた。

 
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小原沢の戦い (受難の碑)


戊辰戦争は、いうまでもなく日本中を舞台にして行われた内戦である。この一部が会津若松への戦いとして、旧藤原町全体を巻き込んで展開された。旧幕軍の旗頭である会津藩の本拠地若松城に通じる街道が通っている地域であるので当然の成り行きであった。
 両軍の戦略目標は、会津軍側では、東北・日光への拠点宇都宮に出てて政府軍に対する優位性を確保することにあった。また政府軍は、降雪期の到来前に若松城を落とすことにあった。
 日光神領の戦火を回避した両軍は、二度に渡る今市大攻防戦の後、藤原周辺の各村落を拠点に4月から8月まで一進一退を繰り返し、膠着状態を続けた。

旧藤原町を舞台にした戦い
・ 4月末   栗原、柄倉で戦い始まる。
・ 5月    高徳、大原の戦いで後退した会津軍は小原沢、滝地区に政府軍を迎え撃ち、逆襲に転じ今市戦の雪辱を果たす。
・ 7月    膠着状態の中、戦線が白河口へ移動。
・ 8月    藤原・上三依・横川で小競り合いを繰り返しながら、月末には山王峠を政府軍が通過し、田島盆地へと転戦。

 この期間、街道沿いの各村落では、退却する会津軍の放火にあって、壊滅的な打撃を受けた。人馬の徴発・戦場の後始末など多大な負担を強いられた。



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現地説明板


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小原沢の塹壕跡




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