若神子城 山梨県北杜市
『甲斐国志』では、城主を甲斐源氏の祖にあたる新羅三郎義光とし、義光からその子孫である源義清・清光に伝えられたとしている[。
戦国時代には武田氏の信濃侵攻における甲信国境として重要視され、佐久・諏訪口方面からの狼煙の中継点、陣立ての場所として利用されたという。武田氏の滅亡後、武田遺領をめぐる天正10年(1582年)6月の天正壬午の乱では、信濃国から相模国の北条氏直が甲斐へ侵攻し、若神子城に本陣を起き周辺の城砦に布陣した。これに対し、三河国の徳川家康は現在の韮崎市中田町中條に所在する新府城に本陣を起き、七里岩台上の城砦に布陣し、北条勢と対峙した。同年10月には徳川・北条同盟が成立し、氏直は甲斐・都留郡から撤兵した。
ふるさと公園 若神子城(古城)
若神子 説明板
古城は西側の尾根上に位置し、規模は東西100メートル、南北200メートル。古城は明治期に若神子で起きた大火の際に土取が行われ、破壊を受けている
若神子 狼煙台
若神子 薬研堀跡
若神子城 古城
若神子 展望
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