FC2ブログ

古城巡り 写真館

デジブックにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Digi Bookで見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

犬飼城 栃木県宇都宮市

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

犬飼城@ヤマシロ改1
㊟イメ-ジ図になります♪(o・ω・)ノ))

スポンサーサイト

逆井城 茨城県坂東市

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

完成逆井城@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります(・Д・)ノ

羽生城を探る 埼玉県羽生市

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

羽生城を探る




1546年(天文15年)に築かれ、1614年(慶長19年)に廃城となった。三方を沼に囲まれた平城であったとされるが、現在はその遺構は全く残っておらず、東谷天神社の敷地内に「羽生城址」と書かれた碑と「城橋」の碑があるだけである。約70年間の短い城史であるが、その間上杉謙信ただ一人を主人としていた。城主は広田直繁と木戸忠朝兄弟、自落後は忍城城主成田氏、大久保忠隣であった。
羽生城 位置関係201809
羽生城の面積は24町歩(約24ha)とされ、北は城沼落しより南、南は古河・栗橋県道より少し南で、東は曙ブレーキ工場の西の堀、西は増子幼稚園付近であったとされる。城の東、南、北の3方を沼に囲まれていた。羽生城城郭は、羽生市役所の北方にあった。本丸は東谷地蔵さまの北・曙ブレーキの西あたりで、三の丸は現在の増子幼稚園あたりだとされる。
*参考書籍 「羽生城と木戸氏」 富田勝治著

犬飼城2018 栃木県宇都宮市

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

犬飼城2018




宇都宮市上欠町根古屋に所在する城跡。別名根古屋城。姿川と武子川に挟まれた台地の最南端部に位置し、城の東側は崖となっている。
1379(康暦元)年に小山義政により小山城の支城として築かれたと伝えられている。
元亀年間(1570~1573年)の初め、小山弾正少弼秀綱のときに北条氏政に攻められたため父・政長を助け奮戦したが敗北。その後は北条氏に属した。
1573(元亀4)年犬飼能登守康吉が城主となり犬飼12郷を領したが、宇都宮氏に攻められ滅亡し廃城となった。
城域は北側の一部が破壊され農地になっている以外は本丸・二の丸をはじめ土塁・空堀がほぼ残存している。
堀は3重にめぐり、郭内には古井戸跡も見られる。

説明板及び案内板に駐車場で完備してからの初登城です、逆に北側からは激藪で入りずらくなっていました




_DSC6425南からの遠景2
南側からの遠景




_DSC6312.jpg
新しく設置された説明板



_DSC6335.jpg
郭2 南側の堀






本丸
犬飼城 本丸




西側の内堀
西側の内堀




_DSC6419南側の土塁
南側の土塁

逆井城 水面に映る、井楼矢倉

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

逆井城 水面に移る井楼矢倉

太田金山城 大手虎口

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

太田金山城 大手虎口

逆井城2018 茨城県坂東市

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

完成逆井城@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります



逆井城2018




_DSC6291.jpg
水面に映る、井楼矢倉

下野国(現栃木県)の祇園城主の小山義政の五男常宗を始祖とする逆井氏が築いた。逆井氏はその後、古河公方家に仕えたが、1536年(天文5)、逆井城は北条氏康の部将の大道寺氏の攻撃を受けて落城し、城主の逆井常繁は討ち死にした。北条氏はこの城跡に飯沼城を築き、1577年(天正5)には、玉縄城(神奈川県鎌倉市)の北条氏繁が城主となって大規模な改修を行って規模の大きな城郭となり、佐竹氏や多賀谷氏など常陸国の反北条勢力と対峙する前線の拠点となった。北条氏の飯沼城の所在地は長い間特定できなかったが、1982年(昭和57)から数次にわたって行われた旧猿島町による発掘調査で、逆井城のあった場所に築かれていたことが判明した。また、『関八州古戦録』によれば、この城には風魔孫右衛門、石塚氏などの北条氏の忍者集団300人あまりが在城していたという。1590年(天正18)の小田原の役により北条氏が滅びた後、廃城となった



_DSC6284.jpg
二層櫓と筋違い橋



_DSC6231.jpg
横矢や比高二重土塁が残る空堀



_DSC6248.jpg
二ノ丸から本丸への櫓門




_DSC6258.jpg
逆井城本丸の祠



_DSC6275改
復元された、井楼矢倉


2018.9.18 登城

太田金山城2018 群馬県太田市

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

金山城 大手実城へ
金山城 大手から実城へ




西城から日ノ池迄




大手口から実城迄



新田金山の頂上にある山城であり、現在は、本丸跡とされている地点に新田神社がある。背後の斜面には石垣の一部が遺存しており、往時のようすを現在に伝える。関東平野を一望に収めることができ、西方は一段低くなっており「日ノ池」「月ノ池」がある。西南には二の丸跡、三の丸跡と呼ばれる曲輪が残り、これら曲輪につながる尾根群には堀切が設けられている。 また南曲輪には中島飛行機の創設者である中島知久平の胸像が建てられている。
戦国時代の関東の山城には本格的な石垣普請の城はないという定説が発掘調査で覆されたほど多くの石が多用されている。




月の池
月ノ池




馬場下通路
馬場下通路




南城側





新田神社
実城跡に建つ新田神社




実城裏の石垣
実城裏の石垣

㊟八王子砦、北城へは今回はいっていません

彦部家住宅 重要文化財2018改 群馬県桐生市

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

彦部家住宅2018改




_DSC5884改
彦部家住宅後方の山が手臼山砦、加茂神社から句碑の道という遊歩道が有り、ここから15分程度行けます。



手臼山の麓に位置する。山裾以外の三方に土塁と堀を設け、南の大手口に長屋門、北の搦手口に櫓台を築いた中世の屋敷構えを残している。主屋や長屋門は江戸時代に建てられたものである。
彦部家は家蔵の「高階朝臣家譜」によると、天武天皇の長子である高市皇子を祖とする。高市皇子から六代目で臣籍降下し高階姓となり、高階氏は鎌倉時代に陸奥国斯波郡彦部郷に移り、彦部姓を名乗った。室町時代に彦部氏は足利将軍家に仕え、永禄4年(1561年)に広沢の地に屋敷を構えたと伝わる。
昭和51年(1976年)5月7日に「彦部氏屋敷」の名で群馬県の史跡に指定され、平成4年(1992年)8月10日に「彦部家住宅」の名で重要文化財に指定された。




_DSC5890改
大手の長屋門



_DSC5899改
主屋 江戸初期の建築にて、武家屋敷の痕跡が残る




_DSC5945改
竹が岡八幡宮




北側の薬研堀
北側の薬研堀



_DSC5961.jpg
搦手口と櫓台



2018.9.16 再々登城

加茂神社 群馬県桐生市

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

_DSC5970.jpg

賀茂神社の創建年の詳細は不詳ですが崇神天皇(第10代天皇・在位:紀元前97~紀元前30年)の時代に豊城入彦命(崇神天皇の第1皇子・上毛野君や下毛野君の始祖)が東国鎮護のため山城国に鎮座する賀茂別雷神社の分霊を勧請したのがはじまりと伝えられています。格式も高く延暦15年(796)に官社に列せられると元慶4年(881)には正五位下勲十二等を授かり、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されています。平安時代に上野国(現在の群馬県)の有力神社を列記した上野国神名帳に「従一位賀茂大明神」として記載され上野国十二社のうち一社に数えられました。以来、賀茂神社は周辺住民だけでなく歴代領主にも崇敬され平安時代後期の天喜年間(1053~1058年)に奥州(現在の東北地方)で発生した前九年合戦の折には、源義家が戦勝祈願の為当社を訪れ無楽を奉納したと伝わっています



_DSC5971.jpg





_DSC5974.jpg
加茂神社 拝殿




_DSC5975.jpg
桐生市で最も古い永和4年(1378年)の石灯籠




_DSC5976.jpg
加茂神社本殿遠景

該当の記事は見つかりませんでした。