古城巡り 写真館

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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Digi Bookで見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

archive: 2017年06月  1/6

那須塩原市 城館を巡る ダイジェスト 栃木県

那須塩原市 城館を巡る宇都野城真木城田野城塩原城小原沢の戦い 塹壕跡...

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宇都野城(鳩ヶ森城) 栃木県那須塩原市

宇都野城(鳩ヶ森城)主郭迄宇都野城(鳩ヶ城)外郭迄寛治3年(1089)に山本上総介家隆によって築かれた。山本氏は白鳳時代に創建された嶽山箒根神社の別当職を代々務めた家系で、後三年の役の際、源義家に従い軍功をたて、山本上総介家隆と名を改めた。併せて箒川沿岸8か村、伊佐野郷15か村を支配した。鎌倉時代以後、室町時代にかけて塩谷郡は主に宇都宮城主に従う豪族山本氏・氏家氏・塩谷氏の3氏が支配していた。天文2年(1533)城...

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真木城(野沢城) 栃木県那須塩原市

真木城*詳細はデジブックをご覧ください。塩谷氏の居城川崎城(矢板市)の支城で、北辺の守りのため城代大舘弾正義則が寛正2年(1461)に築造したと伝えられ、真木城とも言われている。天正12年(1584)の薄葉ヶ原の戦いの折り、大田原綱清氏に攻められ落城、滅ぼされた。その後、宝永5年(1708)、箒川大洪水と真木水害のため金沢字真木に鎮座されていた箒根神社を真木城跡に移した。城郭は南北約50m、東西約150mで、高さ約20m余...

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田野城 栃木県那須塩原市

田野城*詳細はデジブックをご覧ください。正安年間(1299~1302)、関谷太郎兼光の築城、塩谷氏の支城として永正年間(1504~21)まで存続したと伝わる。現在はオ-トキャンプ場となり、大夫遺構は改変されていると思われる。南西の箒川沿いと東側の林の中に堀と土塁が残るが、キャンプ場中央部に関しては遺構は消滅している。田野城=オ-トキャンプ場入り口南西(入り口正面の突き当りの林)横堀が残る東側の林の中の堀大きい地...

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塩原(要害)城 栃木県那須塩原市

塩原(要害)城平安時代より塩原の地は宇都宮城主の領地で、塩谷氏の一族の塩原氏が地頭であった。保元元年(1156)頃に「八郎ヶ原」舘を構えていたが、治承2年(1178)箒川と善知鳥沢との合流点の高台に塩原(要害)城を築いたと言われている。鎌倉時代に入り、長沼(小山)宗政の領地となり、塩原氏はその支配下で領地を守ってきたが、その後、宇都宮系の君島信濃守、小山系ともいわれ橘伊勢守の支配を受け、文亀2年(1502)会津芦名氏...

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小原沢古戦場(戊辰戦争)

小原沢古戦場小原沢付近では、幕府と会津藩の連合軍が村民を総動員し自然の地形を利用して要塞化、理想的な陣地を作った。細い上り坂になっている陣地前の道を登ってくる官軍勢を迎え撃った。会津軍の目論見どおり、官軍が大敗した。この地点の攻防は、歴史に残る激戦となり両軍併せて21名が戦死した。 この地点の戦死者の慰霊碑として、激戦の行われた日と同じ6月26日に建てられた。 小原沢の戦い (受難の碑)戊辰戦争は、いう...

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大洲城~ここにも藤堂高虎の名が!!

大洲城 肱川の河畔に望む大洲城は、元弘元年(1331年)鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、藤堂高虎等によって大規模に修築がなされ、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していきました。 明治維新後は、城内のほとんどの建築物が破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されましたが、明治21年(1888年)老朽化により、...

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宇和島城~藤堂高虎築城

宇和島城伊達十万石の城下町”と呼ばれ、江戸時代から四国西南地域の中心として発展してきた宇和島市は、日本屈指のリアス式海岸地帯にあります。城はその最深部、現市街地のほぼ中央にあり、慶長元~6年(1596~1601)の藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張となっていました。石垣や天守、矢倉は、元和元年(1615)に入部した伊達家により修築されていきますが、基本的な城構えは高虎時代のものを引き継い...

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太宰府~古代日本の「西の都」

大宰(おほ みこともち)とは、地方行政上重要な地域に置かれ、数ヶ国程度の広い地域を統治する役職で、いわば地方行政長官である。大宝律令以前には吉備大宰(天武天皇8年(679年))、周防総令(天武天皇14年(685年))、伊予総領(持統天皇3年(689年))などあったが、大宝令の施行とともに廃止され、大宰の帥のみが残された。『続日本紀』文武天皇4年(700年)10月の条に「直大壱石上朝臣麻呂を筑紫総領に、直広参小野朝臣毛...

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鴻臚館~古代の迎賓館

鴻臚館(こうろかん)は平安時代に設置された外交および海外交易の施設である。前身として筑紫館や難波館が奈良時代以前から存在した。その名称は北斉からあった九寺のうちの外交施設「鴻臚寺」に由来し、唐の時代にその名称が日本に導入された。「鴻」は大きな鳥の意から転じて大きいの意。「臚」は腹の意から転じて伝え告げるの意。「鴻臚」という言葉は外交使節の来訪を告げる声を意味していた。筑紫館 遠景この施設は筑紫館(...

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