星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Digi Bookで見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ 古城巡り 写真館
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古城巡り 写真館

〜フォトム-ビ-にて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・〜
古城巡り 写真館 城館リスト 2030.01.01
津久井城 神奈川県相模原市 2019.07.08
小松城 神奈川県相模原市 2019.07.08
上の山城 神奈川県相模原市 2019.07.08
伏馬田城(尾崎城) 神奈川県相模原市 2019.07.08

登城記録2016年

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2016年登城記録&史跡巡り

1月9日(土) 
東京都八王子市 浄福寺城 小野田城 八王子城~太鼓曲輪
2月21日(日) 
栃木県 唐沢山城 皆川城 大平山城
2月28日(日) 
群馬県太田市 金山城~北城・八王子ノ砦
3月5日(土) 
茨城県 逆井城 大鳥城 駒寄城
3月6日(日) 
埼玉県 小倉城
4月10日(日) 
群馬県 富岡市 神成城 宮崎城 大山城 甘楽 国峰城 麻場城 小幡陣屋
4月16日(土) 
栃木県 小山城 鷲城 粕尾城 寺窪城 櫃沢城>
4月23日(土) 
長野県上田市 眞田丸シリ-ズ 上田城 眞田氏館 真田氏本城 長谷寺 信綱寺
5月14日(土) 
群馬県 名胡桃城 沼田城 小川城 長井坂城 中山城
5月22日(日) 
群馬県 岩櫃城 郷原城 潜龍院跡 稲荷城 市城南部出丸
5月29日(日) 
茨城県桜川市 羽黒山城 棟峯城 池亀城 五大力堂 橋本城
6月4日(土) 
山形県米沢市 米沢城 上杉家廟所 松岬神社 春日山林泉寺 普門院 堂森善光寺 上杉伯爵邸 直江石堤
6月5日(日) 
藤橋城 今井城
6月11日(土) 群馬県安中市
 中野谷陣屋 上ノ久保館 八幡平陣城 原市城 原市東館 尾崎屋敷 座光寺館 安中の出内砦 野殿北屋敷 滝山城   榎下城 磯部城 安中城
6月12日(土) 群馬県高崎市 原城 鷹留城 箕輪城 北新波城 満勝寺 浜川の砦 保渡田城 雨堤の砦 矢島の砦 長年寺 長純寺 來迎寺 長野業盛の墓

6月25日(土) 
茨城県常陸太田市 久米城 西山御殿水戸市 加倉井忠光館 加倉井館 長者山城
7月2日(土) 
福島県二本松市 二本松城 称念寺
7月8日(金) 
兵庫県
 竹田城  岡山県 岡山城
7月9日(土)
 岡山県
 備中松山城 兵庫県 姫路城
8月20日(土) 
栃木県鹿沼市
 
 下沢城 下沢館

8月21日(日) 
栃木県鹿沼市
 加園城 滝尾山城
8月27日(土) 
群馬県みなかみ町
 諏訪の木館 沼田城 名胡桃城

9月3日(土) 
栃木県鹿沼市
 諏訪山城 諏訪山北城(断念) 群馬県玉村町 環濠屋敷と城館  角渕城新井屋敷 中樋越屋敷 町田屋敷 石原屋敷 内田屋敷 
9月24日(土) 
埼玉県蕨市
 蕨城

10月8日(土) 
埼玉県久喜市 足利政氏館
 渡辺氏館
10月10日(月) 
千葉県我孫子

布佐城 龍崖城 新木城 羽黒前館 中峠城 柴崎城 久寺家城 我孫子城 法華坊館 根戸城
10月15日(土) 
栃木県足利市
南氏館 草名館 清源寺 小俣城 小俣氏館 館?寺院?土塁遺構 鶏足寺
10月22日(土) 
神奈川県小田原市 小田原城 小田原古郭
10月29日(土) 
茨城県利根町 布川城
竜ヶ崎市 大日山城 長峰城 登城山城 屋代城 羽原城 貝原塚城
11月6日(日)span> 
埼玉県小鹿野町
 両谷城 日尾城
秩父市 熊倉城

11月12日(土) 
栃木県足利市
 樺崎城 足利城 佐野市 赤見駒場城
樺崎寺跡 心通寺 法楽寺 長林寺

11月19日(土) 
長野県 小諸市
十石城 八木沢城 上三田原城 宮崎城 小諸城 手代塚城 堀ノ内城

11月26日(土) 
栃木県 真名子城 布袋岡城
12月4日(土) 
埼玉県 忍城 杉山城
12月11日(日)
愛知県豊田市 松平城 松平氏館 高月院 松平氏墓所 在原氏墓所
静岡県浜松市 三岳城 井伊氏館 井伊谷城 堀川城 刑部城 浜松城 
12月17日(土) 
埼玉県所沢市 滝の城
12月24日 栃木県栃木市
藤沢城





赤字、初登城 黒字、再登城

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五大力堂~茨城県桜川市

五大力堂

五大力堂は平安時代、平将門の乱の際、俵藤汰藤原秀郷が霊像5体を安置して将門討伐を祈ったが、討伐後は将門の善心を知り
霊を慰めたたと言われています。

国を守護する大力のある

【金剛吼】 【龍王吼】 【無畏十力吼】 【雷電吼】 【無量力吼】

の五大力像は檜財の寄木造りとなっている。

御堂を覗いたが・・・・・中は空っぽにて、月山寺美術館にて特別展示中だそうです( ゚Д゚)

又この五大力堂の下の方の大地は、【池亀城】跡となる。



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五大力堂
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池亀城遠景
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橋本城~2016.5.29 初登城

橋本城






城址麓の爪黒神社~ここからスタ-ト
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切通の突き当りの城址標柱~ここから本格的遺構!!
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主郭前の堀切
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城址最南端の堀切・・・・ここで猪との遭遇( ゚Д゚)
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麓の爪黒神社鳥居の右手から城内へ、進んで行くと切通(堀底?)を突き当りまで進むと朽ち果てそうな!!標柱が有りそこから本格的な遺構を見る事が出来る!!
築城年代は定かではないが南北朝時代に谷中豊前守将国が築いたとも云われる、又麓の爪黒神社の略記の石碑に城址の事が記されている。




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羽黒山城~参道の急登を登れば・・・・( ゚Д゚)

羽黒山城 初登城 2016.5.29






羽黒山城入口~羽黒神社鳥居
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主郭~羽黒神社
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羽黒山城~大堀切
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詳細不明。一説に南北朝時代の創築と云われ、常陸国司春日顕国が城主で南朝方の城であったともいわれる。

羽黒神社参道を登り切れば、最初に堀切の遺構が見えて又立ち木の間からの展望が素晴らしい。
若干の藪は在るが、各郭の遺構の状態は良好だと言える、主郭には羽黒神社が建ち土塁を石垣で補強されている
又主郭を先に進めばこの城最大の大堀切を見る事が出来る。

そして、そこから約10分位で棟峰城へと行くことが出来る、こちらはこじんまりとした城である。



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鷹留城~長野氏の居城

鷹留城






鷹留城(たかとめじょう)は、群馬県高崎市下室田町にある中規模な日本の城(山城跡)の典型で、箕輪城の西方5キロにある箕輪城の支城の一つ。各種遺構が原形に近く残っている点で、群馬県内でも稀な史跡である。高崎市指定史跡に指定されている

明応年間(1500年頃)、当地を支配する長野尚業によって築かれた山城である。長野尚業の子、憲業が本拠を1512年(永正9年)に築かれた箕輪城に移すまでの間、長野氏の本拠であった。その後も1566年(永禄9年)に落城までの間、箕輪城の有力支城の一つである。(日本城郭大系には 「箕輪城と相助ける別城一廓の関係にある」 と記されている。) 城の規模は、南北430メートル、東西300メートル、本丸の高さは東側の谷から70メートルといい、群馬県内でも有数な中規模な山城である。現在にのこる遺構として、本丸以下の曲輪、虎口、大手口、搦手口、井戸、掘切の跡が認められる。 また、元城下に長野氏の菩提寺の室田山長年寺があり、「長野氏累代の墓」(長野業尚、業正、憲業、業氏、業固、業茂、業続の7基の五輪塔)がある。



鷹留城大手口
鷹留大手口


鷹留城説明板
鷹留看板



鷹留城主郭部
鷹留主郭


鷹留城堀切
鷹留堀切



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足利史跡を巡る!! 鑁阿寺・足利学校

足利史跡を巡る!!







鑁阿寺
鑁阿寺は、鎌倉時代、建久七年(1197年)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山。山号は金剛山。本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来(だいにちにょらい)を祀る。

約4万平方メートルに及ぶ敷地は、元々は足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されている。またこの事から「史跡足利氏宅跡」として、大正10年3月に、国の史跡に指定されており、現在では「日本の名城百選」にもなっている。

寺院としては、鎌倉時代初期、1196年(建久7年)源姓足利氏2代目の足利義兼(よしかね)が発心得度し、邸宅内に持仏堂を建てたのが始まりとされる。義兼死後、その子義氏が建立した本堂は、1229年に落雷により、焼失したが、足利貞氏が禅宗様式を取り入れ改修した。日本としては禅宗様式への転換期の最初期にあたる。

鎌倉時代から室町時代にかけて寺院として次第に整備され、室町将軍家、鎌倉公方家などにより、足利氏の氏寺として手厚く庇護された。
 
境内には、本堂のほかにも、鐘楼(しょうろう)、一切経堂(きょうどう)が国の重要文化財、東門、西門、楼門(ろうもん)、多宝塔(たほうとう)、御霊屋(おたまや)、太鼓橋(たいこばし)が栃木県指定の建造物で、その他、市指定の建造物も多数あり、その他建造物以外にも、彫刻や文書、美術工芸品など、中世来の貴重な宝物類も多数残され、今に伝わっている。



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足利学校

日本最古の学校といわれる。堂中の中央には孔子坐像、右には、足利学校の創立者とされる小野篁、左に徳川家康の神位を祭っている。聖廟の左に足利学校遺跡図書館があり、多数の古文書が保管されている。創立については明らかではなく、平安初期に小野篁の創立などの説がある。その歴史が明らかなのは室町中期以降で、1439(永享11)年に関東管領上杉憲実が鎌倉の禅宗五山のうち円覚寺の僧快元を初代庠主として学校を整備し、学則を定め学生を養成した。憲実以後もその子憲忠などが学校の基礎をかためた。1668(寛文8)年には幕府の力で聖廟が修築された。廃校となったのは1872(明治5)年のことである。



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古城岩櫃を巡る~大河ドラマ【眞田丸】

古城岩櫃を巡る






大河ドラマ【眞田丸】の舞台、岩櫃を巡ったダイジェスト版です。



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岩櫃城~真田氏による大改修!!

岩櫃城 再々登城2016.5.22






岩櫃城② 再々登城 2016.5.22






岩櫃山の北東に伸びる尾根に位置し、吾妻川の西岸にあたる。また、西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面、北は岩山で天然の要害となっている。尾根の西から本丸・二ノ丸・中城などが続き、北東に出丸の「天狗丸」がある。その更に北東には支城・柳沢城(観音山城)が位置している。 北方の盆地には、東の吾妻街道から渓谷沿いの隘路でのみ繋がる平沢地区があり、岩櫃城は天狗丸・柳沢城とともにこの盆地を守る位置関係を構成している。平沢地区には根小屋があったとみられている。

築城年および築城主は不詳。この地を鎌倉時代に治めた吾妻太郎助亮によって築城されたと伝わるが、伝説の域を出ない。後に助亮系の吾妻氏(前期吾妻氏)は姿を消し、下川辺氏末裔とされる吾妻氏(後期吾妻氏)がこの地を支配したが、南北朝時代に南朝方の攻撃で当主行盛が戦死、その子・千王丸は秋間斎藤氏の斎藤梢基に庇護され、山内上杉氏の偏諱を受け斎藤憲行と名乗った。この憲行に始まる秋間斎藤氏6代の時代に、岩櫃城は築かれたとみられる(『群馬新百科事典』)。 また『加沢記』では、応永12年(1405年)に越前国大野郡にあった斎藤基国の子・斎藤憲行がこの地に入部して築城したとされる。

岩櫃城主となった斎藤氏時代の詳細は、斎藤氏系譜と同様に複数伝わっておりはっきりしない。地元の旧記では吾妻行盛-斎藤憲行-行禅-行弘-行基-行連-憲広(基国)と系譜を伝え、行禅のときに重臣秋間氏の反対を押し切って柳沢城を家臣で娘婿の柳沢安吉に与えたが、行弘のときに柳沢安吉は反乱を起こし鎮圧されたという(『原町誌』)。一方『加沢記』では、憲行の長男・憲実が岩櫃を継ぎ、他の兄弟は分家したのだが、五男・憲基の子孫たる大野氏の勢力が拡大、家臣の秋間氏を滅ぼして宗家・憲実を支配下に置いたという。その後、大野氏は大野憲直のときに、四男・山田基政の嫡孫で岩下城主・斎藤憲次の反乱によって滅び、岩櫃城は憲次が支配し、その子・憲広に受け継がれたという(『吾妻郡城塁史』)。

斎藤憲広は上杉氏に属して勢力を拡大したが、郡内の豪族羽尾氏と鎌原氏(三原庄)の領地争いに介入(羽尾氏に味方)したことで、両氏の仲介に入っていた信濃国小県郡の真田氏、および真田家の主家である甲斐の武田氏による介入を招くことになる(羽尾氏・鎌原氏・真田氏は共に海野氏系で近い関係にある)。永禄3年(1561年)に鎌原幸重が武田家の信濃先方衆である真田幸隆を介して武田家に臣従して、武田氏の後ろ盾を得る。それに対して、永禄五年(1562年)に斎藤憲広は羽尾幸世など羽尾氏と共に鎌原城を攻略し、鎌原氏を信濃に追い払う事に成功する。しかし、程なく鎌原城を奪回されるなど真田勢の攻勢を受け、永禄6年(1563年)には家臣の内応もあって落城、憲行は越後に逃走した。斎藤氏は憲行の末子・城虎丸が近隣の嶽山城に篭っていたが、永禄8年(1565年)に落城、斎藤氏の勢力は駆逐された。

斎藤氏滅亡によって武田氏の領国支配下に入り、武田家郡代として真田氏が岩櫃城主となり、吾妻郡支配の中心的役割を担うようになっていった。 そして沼田城が真田氏に攻略されると、その支城として扱われた。武田勝頼が織田信長によって新府城を追われた(甲州征伐)ときに真田昌幸は勝頼に逃れてくるよう奨めたが叶わず武田氏は滅亡する。その後も真田氏は生き延び豊臣秀吉に属し大名として存続した。江戸時代、徳川氏の時代になると、真田氏もその傘下となる。徳川幕府の一国一城令により、慶長19年(1614年)に廃棄された。



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潜竜院跡・郷原城~武田家再起の・・・・・

潜竜院跡・郷原城






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潜龍院跡
織田・徳川連合軍による甲州征伐時、真田昌幸様が主君・武田勝頼公に退却を進め、名門武田の家運を挽回しようとしたのが「岩櫃城」。結果、勝頼公は岩櫃には入らず、天目山で自害してしまうが、昌幸様が勝頼公を迎えるために3日間で建てたといわれる館城が、古谷御殿。そこに潜龍院(せんりゅういん)という寺があったため、この地を「潜龍院跡」と呼んでいる(東吾妻町郷原古谷地区)。絶壁の岩櫃山の眼下に開けた不思議な空間で、山の中に開けた庭園のよう。


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郷原城
この要害の規模は柳沢城(岩鼓の要害)より更に小さく、用途としては岩櫃牙城の支城であり切沢方面の防護と、岩櫃山間道を抜けて岩櫃牙城を攻められないように配置した物、または敵に攻められたときの狼煙の中継点に使われた物と思われます。

 真田に攻められたときに、柳沢城では三百騎配置されましたが此処は更に少なく、十数人~数十人程度の配置で手一杯だったでしょう。城の広さからすると、物見の砦程度の遺構です。

 斎藤氏時代の記録がないところを見ると、あるいは真田昌幸の時代に潜竜院と共に築城されたのかもしれません。詳細は、全く記録にも残っていませんので全くわかりません。

 この城は、吾妻川側に展開していて堅壕で三つに切られていたと思います。本城域は四つの郭でなっていて表側に梯郭式で本郭、二の郭、三の郭と展開して堅壕で先端の細長い郭と大堀きりで区切られていたような作りとなっています。



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上州古城を巡る2016.5

上州古城を巡る 





2016年大河ドラマ「真田丸」がスタ-トしましたので、上州の真田VS北条関係の城を巡ったダイジェスト版です。

眞田の六文銭
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長井坂城
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中山城
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名胡桃城
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小川城
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沼田城
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