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古城巡り 写真館

デジブックにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Digi Bookで見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

春日山城 新潟県上越市 201808

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

2018年8月26日 謙信公祭当日の春日山城です、主要郭のみの散策になります。

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春日山城 2018



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春日山城 2015

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

春日山城~謙信公居城

新潟県上越市



春日山城 遺構位置完成版



2015年8月23日、謙信公祭当日の春日山城



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この城は、南北朝時代に越後国守護である上杉氏が越後府中の館の詰め城として築城したのが始まりとされる。1507年(永正4年)、守護代であった長尾為景が上杉定実を擁立して守護上杉房能を追放した。新守護として定実が府中に入ると、長尾氏が春日山城主となった。

上越市中部にある春日山山頂に築かれ、天然の要害を持つ難攻不落の城とされ、為景、晴景、上杉謙信(長尾景虎)、上杉景勝の四代の居城となった。しかし、上杉景勝が会津へ移った後に越後を支配した堀氏は、政治を取り仕切るに不便として、1607年(慶長12年)に直江津港近くに福島城を築城して移り、春日山城はその役目を終えた。

別名を鉢ヶ峰城ともいう。「春日山」の名称は、奈良の春日大社から分霊勧請(かんじょう)した春日神社に由来する。春日神社の創建年代は、958年(天徳2年)説、守護上杉氏の築城の際とする説、文明年間(1469年~86年)という説などがありはっきりしない。

また、近くにある林泉寺の惣門は、春日山城の搦手門を移築したものであると言われているが、確証はない。しかし、最低でも慶長まではさかのぼるものであるとも言われ、春日山城で最も古い建築物であると思われる。

多くの絵図には石垣や天守閣などが描かれているが、ほとんど空想であり、石垣も瓦も発掘されていない。 それらをふまえ、厳密な時代考証に基づいた初の復元模型が完成、2009年1月から12月まで開催の「越後上越天地人博」で展示されている。

地域支配と侵攻に対抗するための拠点として、要害の地に支城・砦・館が配置されていた。山中には春日山城と支城・砦を結ぶ軍事用道路があった
春日山の周辺、おおむね5から6km程度の範囲内にある砦として、春日山から西へ伸びる稜線上に砦が列をなして並び、近いほうから番屋口砦・番屋砦・長沢砦・長浜砦・城が峰砦の順で並んでいる。北には沖見砦があり、南の複雑な地形のなかにトヤ峰砦・宇津尾砦・滝寺砦・中の俣砦の砦群、東の平地には長池山砦と東城砦および御館城があった。これら春日山を支える砦は、2km程度あるいは至近距離に番屋口砦・番屋砦・長沢砦・長池砦・東城砦があり、3km程では沖見砦・長浜砦・トヤ峰砦が配置され、4km程度で城が峰砦・宇津尾砦・滝寺砦・御館城があり、中の俣砦は5kmほどである。春日山から西に伸びる稜線上の砦はいずれも砦単体での運用を想定した構造ではなく、春日山と直接の連絡路があり、また戦闘を維持するには春日山からの支援を受けなければならない。また、これらの砦は春日山と反対方向からの攻撃に備えており、これらからこの砦群も広義の春日山城を構成しているともいえる。春日山城本体も大きな城であるが、これらの砦群を包括した広義の春日山城は広大な城であったともされる。
「Wikipedia:ウィキペディア」より
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春日山城 2014

Posted by 樋口山城守与六 on   0 

所在地 新潟県上越市


春日山城 上杉謙信公像
春日山城 上杉謙信公像


戦国時代において、他の武将とは特異な人物であったと思われる。それは、上杉謙信公(長尾景虎)
上越市に残る、謙信公の居城はまさに山全体を要塞化した城郭で当時の火力では当然落城まではいかなかったといえる・・・・それは、城を歩いてみれば解ります。
謙信公の居城春日山城をご覧下さい。
春日山城




越後守護上杉氏の守護代長尾為景が永正年間 (1504~21) に築城。為景の子上杉謙信が天文 17 (1548) 年 12月,長尾氏の家督を継ぎ,栃尾城から春日山城に移った。謙信は「一生不犯」を誓って生涯妻妾を置かなかったので,嗣子がなく,甥の上杉景勝と小田原の北条氏康の三男上杉景虎の二人を養子に迎えた。天正6 (1578) 年謙信が病没すると,この二人は家督を争った (御館の乱) 。景勝は春日山城を,景虎は直江津の御館城を根拠地として対抗したが,景虎方の手中にあった米山口の要衝,旗持山城の落城によって,景虎方の形勢が不利となると,景虎は友軍の堀井宗親の守る鮫ヶ尾城 (新潟県妙高市) に走ったが,景勝軍に急追され,翌年3月自刃した。この戦いに勝利を得た景勝は,国内を鎮撫し,以後春日山城を本拠としたが,慶長3 (1598) 年1月豊臣秀吉の命で岩代会津 120万石へ転封,同年5月堀久太郎秀治が北庄城から春日山城へ入り,越後 45万石を領有した。翌年8月,11ヵ月間にわたる上杉遺民一揆が起こった。秀治が同 11年春日山城で没すると,弱冠 12歳の忠俊が城主となったが,翌 12年直江津に福島城を築きここへ移ったので,風雲の名城として広く知られた春日山城も廃城となった。






春日山城 現在の毘沙門堂
現在の毘沙門堂 中には毘沙門天像が祀られています




上杉三郎景虎宅跡
上杉三郎景虎宅跡




直江山城守宅跡
直江山城守宅跡




春日山城実城
春日山城実城



謙信公祭り当日の春日山城
春日山駅からの遠景




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