星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Digi Bookで見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ 古城巡り 写真館
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古城巡り 写真館

〜フォトム-ビ-にて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・〜
古城巡り 写真館 城館リスト 2030.01.01
津久井城 神奈川県相模原市 2019.07.08
小松城 神奈川県相模原市 2019.07.08
上の山城 神奈川県相模原市 2019.07.08
伏馬田城(尾崎城) 神奈川県相模原市 2019.07.08

米沢上杉祭り 2019





戦国史上最大の死闘といわれた上杉・武田両軍の激突―その中でも永禄4年(1561)秋の川中島合戦一騎打ちが再現されます。
上杉行列のあと、相生橋と万里橋間の松川河畔に集結した大軍勢。
残雪の吾妻を背に南側が上杉陣、北側に武田軍がそれぞれ陣を構えます。
上杉本陣は頭巾姿の謙信を中心に28将が居並び、対する武田陣は、諏訪法性の兜を着けた信玄を赤備えの部隊が守ります。
戦勝を祈願して上杉陣で武禘式、武田陣で三献の儀が行われたあと、上杉の雷筒―30匁筒の一斉射撃で決戦の火蓋が切られます。





上杉祭り2019





上杉祭り 松川にて開催
上杉祭り 松川河川敷にて開催




今年の謙信公はこの方です。
今年の謙信公はこの方です。




戦の下知を
戦の下知を下す!!




布陣する上杉軍
布陣する上杉軍




布陣する武田軍
布陣する武田軍




[山形県米沢市東2丁目1599−22]

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米沢 上杉祭り2015

米沢 上杉祭り2015





上杉謙信公はその生涯において、70余度ほど自ら陣頭に立って戦ったと伝えられています。また部下の諸将に命じて出陣させたものを加えれば数え切れないほどです。その出陣の度に武禘式と称する儀式を行い、神仏に戦勝を祈りました。
この儀式は神仏に代わって不正不義を討つという強い信念に基いたものです。

戦国史上最大の死闘といわれた上杉・武田両軍の激突―その中でも永禄4年(1561)秋の川中島合戦一騎打ちが再現されます。
上杉行列のあと、相生橋と万里橋間の松川河畔に集結した大軍勢。
残雪の吾妻を背に南側が上杉陣、北側に武田軍がそれぞれ陣を構えます。
上杉本陣は頭巾姿の謙信を中心に28将が居並び、対する武田陣は、諏訪法性の兜を着けた信玄を赤備えの部隊が守ります。
戦勝を祈願して上杉陣で武禘式、武田陣で三献の儀が行われたあと、上杉の雷筒―30匁筒の一斉射撃で決戦の火蓋が切られます。






米沢 謙信公





上杉軍1





米沢 武田軍





謙信VS信玄





会場

米澤上杉祭り 武帝式2015

米澤上杉祭り 武帝式2015





上杉謙信公はその生涯において、70余度ほど自ら陣頭に立って戦ったと伝えられています。
また部下の諸将に命じて出陣させたものを加えれば数え切れないほどです。
その出陣の度に武禘式と称する儀式を行い、神仏に戦勝を祈りました。
この儀式は神仏に代わって不正不義を討つという強い信念に基いたものです。
当日は、武禘式保存会の会員によって再現されます。
赤々と燃えるかがり火の中で、五沾水(ごてんすい)の儀・軍神勧請の儀などが約1時間にわたって荘厳にとり行われ、つめかけた観客をしばし戦国の世へ誘います。






上杉祭り1





上杉祭り3





上杉祭り2





上杉祭り4





5上杉祭り





上杉祭り6

米沢上杉祭り 2011

米沢上杉祭り 2011





開幕パレード、武てい式、甲冑行列、川中島合戦などの催しが盛大に行なわれる。特に最終日の川中島合戦が見所。
上杉武田両軍総勢700名の激突、火縄銃の迫力に詰め掛けた大勢の観客の歓声が沸き起こる。





2011 鎧






2011 上杉軍





2011 武田軍





2011 謙信公の祈祷





2011 武将の戦い





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2018年 第九十三回 謙信公祭 

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謙信公祭は、昭和戦前期から戦中、戦後と激動の時代において一度も中断されることなく、上越の人びとの手によって毎年開催されてきました。
 はじめての謙信公祭は、1926年(大正15年)9月13日、当時の高田市・直江津市・春日村(いずれも現上越市)の各青年団の主催により、春日山神社で開催されました。当日は、春日山神社で祭典を行い、名士の講演、相撲、剣舞などが催されました。
 謙信公祭の創設には、当時の高田市長、川合直次が強く関わりました。川合市長は、謙信公を武人としてはもとより、仏典や儒学を深く学び、和歌、茶道、能楽の趣味を持つ「人格者」としての側面にも敬意を表していました。
 戦前の謙信公祭については、武人としての謙信公の評価が強まる中で軍国的な雰囲気がまとわりつきますが、単なる軍人としての精神性だけでなく、川合市長が提唱した謙信公の「人間性」を讃えるという価値観こそが、戦後も謙信公祭が続いてきた力となっています。
 また、地元には、戦国大名が割拠した動乱の時代においても、謙信公は、一年に一度だけ民衆を春日山城に招き入れ、日頃の労をねぎらったという言い伝えが残っており、こうしたことが謙信公祭を行うきっかけになったともいわれています。



市民の祭りとして開催された、謙信公祭をご覧ください。
2018年 第九十三回 謙信公祭 








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