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category: 武士の終焉~墓所&供養塔  1/6

大蓮院殿の墓(小松姫) 正覚寺 群馬県沼田市

正覚寺本堂大蓮院殿は、真田昌幸の長子 真田初代沼田城主 真田信之(信幸から改名)の正室で徳川家の重臣本多忠勝の娘にあたり小松姫と呼ばれていました。家康は小松姫を養女として天正17年(1589年)に信之に嫁がせました。 信之は小田原征伐の松井田城攻めの戦功で、沼田領が真田家の所領となると、翌天正18年(1590年)7月に沼田城主となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて徳川方に従い東軍につきました。 関ヶ原の戦...

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沼田八郎景義の墓 群馬県沼田市

沼田大明神の左手に墓があります父・沼田顕泰に寵愛され、隠居の地である天神城に同行した。永禄12年(1569年)、顕泰による異母兄・朝憲の殺害に端を発する沼田氏の内紛に敗れ、父・顕泰と共に家臣に追放されたと伝わる(「加沢記」)。しかし、考証によって沼田氏の内紛は永禄4年(1561年)以前のことで、沼田へ進出してきた後北条氏への対応を巡り、旧主・上杉憲政を支持する顕泰と、北条氏へ帰属しようとする朝憲らの対立だっ...

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名胡桃城歴代城主供養塔 群馬県利根郡みなかみ町

如意寺は、名胡桃城主三郎景冬(沼田氏の一族)の姉にあたる如意姫の開基とされる寺で、如意寺本堂前に真新しい歴代城主の供養塔が有ります。...

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本多正盛墓所 栃木県日光市

本多正盛が葬られた福生寺(本堂)本多正盛は内藤正盛の三男、後に本多忠信の養子となり安藤対馬守重信の女を娶る。正盛は元和2年(1616)の東照宮造営に際し副奉行の職にあり、同僚の山城宮内と争論する。為に山城宮内は日光山で自害し、正盛も造営工事完成後、妻の妹が嫁いだ松平成重の板橋城下に至り自刃して41歳の生涯を閉じる。時に元和3年4月22日、遺骸は福生寺に葬る。文化13年安藤対馬守信義碑を建つ。現地説明板より本多...

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桐生氏菩提寺 西方寺 群馬県桐生市

桐生氏菩提寺 西方寺 本堂 西方寺の創建は鎌倉時代の安貞年間(1227~1229年)、野州(現在の栃木県)の領主だった宇都宮頼綱(実信房蓮生)が出家、その親類縁者により堂宇(阿弥陀堂)が建立されたのが始まりと伝えられています。正平5年(1350)、当時の領主、桐生国綱が桐生城を築城した際、阿弥陀堂を改めて寺院として境内を整備し歴代の菩提寺とし寺号を「入道人西(国綱の称号)」から「西方寺」に改めまし...

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