星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Digi Bookで見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ 古城巡り 写真館
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古城巡り 写真館

〜フォトム-ビ-にて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・〜
古城巡り 写真館 城館リスト 2030.01.01
津久井城 神奈川県相模原市 2019.07.08
小松城 神奈川県相模原市 2019.07.08
上の山城 神奈川県相模原市 2019.07.08
伏馬田城(尾崎城) 神奈川県相模原市 2019.07.08

丸山 愛知県新城市

丸山 遠景
天正3年(1575)の長篠・設楽原の戦いの際、ここ丸山は織田軍佐久間信盛六千が守る砦だったが、武田軍右翼の馬場美濃守信房は手勢七百の少数部隊で攻撃し攻め取った。  この勢いに乗じて、真田兄弟、土屋昌次 らが馬防柵 の第一柵を突破し、大宮前激戦 へと展開していく。




丸山 説明板
丸山 説明板




丸山 説明板2

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天神山陣所 愛知県新城市

医王寺 物見櫓から見た天神山陣所
医王寺山武田勝頼本陣 物見櫓から見た天神山陣所




1575年の長篠の合戦の際に、武田軍の一条信龍、真田信綱、真田昌輝、土屋昌次ら2,000の軍が陣を築いた。5月21日に設楽原で織田・徳川連合軍と決戦を行い武田軍は大敗。真田信綱、真田昌輝、土屋昌次は戦死した。
国道257号線を進み、茶寮本陣が在る辻を右へ入って100m程進んだ左手に長篠荏柄天神社が在ります。
石段を登ると、本殿と天神山陣地の説明看板、本殿裏手の山頂に展望の説明看板が在ります。

川路城(大坪城) 愛知県新城市

設楽氏の主城で、築城年代は定かではないが応永の頃(1394~1427)という説がある。
戦国期、設楽貞通 は松平元康(後の徳川家康)にいち早く従属し、天正3年(1575)の長篠の戦いでは酒井忠次の部隊に参加、その後、徳川家康の関東移封に伴って武蔵国礼羽に移り、川路城は廃城となる。  川路城に隣接するようにして小川路城、端城 があるが、何れも川路城を本城とした出城である。城趾の近くに 「お鷹井戸」と呼ばれる井戸跡が残っている。 これは、歴代の城主が鷹狩の際の鷹の飼育にこの井戸水を使っていたという。





お鷹井戸の看板が有るが・・・・住宅の裏側に有り、道も無く???何処??
お鷹井戸の看板が有るが・・・・住宅の裏側に有り、道も無く???何処??




川路城 お鷹井戸
川路城 お鷹井戸




川路城の説明板と標柱
川路城の説明板と標柱




川道城城内の小川路稲荷
川路城城内の小川路稲荷


2018年10月28日 登城

小川路城 愛知県新城市

築城年代は定かではないが、周辺地域を治めていた小川路右衛門が築城し、後年は川路城 の設楽氏の支城として使われ、設楽甚三郎や設楽兵庫の居城だったという。川路城(大坪城)はここからすぐ近くの所にある。





現在の小川城遠景
現在の小川路城遠景、奥に標柱が有る




小川路城の標柱
小川路城の標柱




小川路城標柱裏に残る土塁
小川路城標柱裏に残る土塁



2018年10月28日 登城

大久保兄弟陣所 愛知県新城市

天正3年(1575) 5月21日の長篠の戦いで大久保忠世・忠佐兄弟が徳川軍の最右翼に布陣した所で、川路城 の南東150m程の連吾川沿いにある。
馬防柵外の大久保隊と、武田軍最左翼となる山県昌景隊の3千の騎馬隊によって、勝楽寺前激戦地 で戦いの火蓋が切られた。
そして、至近距離には川路城と小川路城が有ります。





大久保兄弟陣所 遠景
大久保兄弟陣所 遠景




大久保兄弟陣所 石碑





大久保兄弟陣所 石碑2
大久保兄弟陣所 石碑




長篠・設楽原古戦場 広域
長篠・設楽原古戦場 広域