星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Digi Bookで見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ 古城巡り 写真館
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古城巡り 写真館

〜フォトム-ビ-にて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・〜
古城巡り 写真館 城館リスト 2030.01.01
津久井城 神奈川県相模原市 2019.07.08
小松城 神奈川県相模原市 2019.07.08
上の山城 神奈川県相模原市 2019.07.08
伏馬田城(尾崎城) 神奈川県相模原市 2019.07.08

要害山城 山梨県甲府市

要害山城





完成 要害山城@ヤマシロ㊟イメ-ジ図になります(-ω-)/






『高白斎記』に拠れば、築城は武田信虎時代の永正17年(1520年)6月であるという。武田氏は前年に居館を石和の川田館(甲府市川田町)から躑躅ヶ崎館(甲府市古府中町)へ移しており、駒井政武の領地であった積翠寺郷の丸山が城として取り立てられ、館の詰城として砦や狼煙台が築かれたという。
同年には駿河の今川氏勢の武将福島正成が駿州往還(河内路)を甲斐へ侵攻し甲府へ迫っており、信虎は正室の大井夫人を避難させ福島勢を駆逐しているが、夫人はその最中に城中で嫡男(後の武田晴信)を出産したという。
勝頼期の天正4年(1576年)6月1日付武田家朱印状に拠れば、武田氏は要害城から西方に位置する帯那郷(甲府市上帯那町・下帯那町)に対して要害城の普請への召し出しを命じており、帯那郷への河除(堤防普請)と他の諸普請の一切を免除している。『甲陽軍鑑』『甲斐国志』によれば、武田氏時代の城番は駒井次郎左衛門・武藤山城・駒井昌直(右京亮)が務めたという。
武田氏滅亡後、徳川氏の支配期を経て豊臣系大名が入城し、加藤光泰により修築が行われた。文禄年間の修築を示す遺構として穴太積みの石垣が見られる。
『甲斐国志』によれば、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に甲斐は再び徳川氏が領し、廃城となったという。
2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(128番)に選定された。






登城口説明板
登城口説明板



不動郭
不動曲輪




門跡
門跡/随所に門跡が残る




要害山 本丸要害山城 主郭/要害山





信玄誕生地
武田信玄誕生地/主郭




要害山遠景
要害山遠景







[山梨県甲府市上積翠寺町1520−2]

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㊟ピン位置は、登城口になります(2013.9登城)

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甲府城 山梨県甲府市

甲府城






舞鶴城址公園
舞鶴城址公園/甲府城




天正10(1582)年に武田氏が滅びると、甲斐は織田信長の領国となりましたが、本能寺の変後は徳川家康の支配下となり、平岩親吉が城代になりました。豊臣秀吉が天下統一を果たすと、徳川家康は関東に移され、甲斐は秀吉の甥にあたる羽柴秀勝が支配することになりました。秀勝の移封後は、加藤光泰が、光泰が文禄の役で没すると浅野長政・幸長の支配となりました。
発掘調査により、城内の各曲輪から浅野家の家紋瓦や、金箔や朱を施された瓦、豊臣家の家紋瓦が出土していることから、築城はこの頃と考えられています。関ヶ原の戦後に、甲斐は再び家康の支配下となり、慶長12(1607)年には幕府の直轄地となりました。城番は武田十二騎がつとめ、支配が代わった後も城番制度が続きましたが、寛文元(1661)年に徳川家光の四男の徳川綱重と、その子綱豊(後の6代将軍家宣)が甲府藩・甲府家をたてました。その頃城の大規模な修復がおこなわれています。







国府城内堀




宝永元(1704)年、5代将軍徳川綱吉の側用人である、柳沢吉保とその子柳沢吉里が甲府藩主となりました。柳沢家が大和郡山に転封されるまでの約20年間続いた。柳沢家とともに、家臣団や家族が甲府に移動し、城内・城下ともに武家地を中心に整備されました。
享保9(1724)年、再び幕府の直轄地となり、甲府勤番支配が、山手組・追手組それぞれに1名ずつ就任し、その下に勤番士100人、与力10騎、同心50人が配され、甲府城と周辺の警護をおこないました。





石垣





櫓





城門2





甲府城天守台



明治維新の廃城以降、甲府城は兵部省(後の陸軍省)の管轄となり、勧業試験場が建てられ、北側部分は中央線の線路となりました。大正6(1917)年に県有財産となり、昭和時代に入り西側部分が市街化されました。昭和43(1968)年、県史跡に指定され、平成2年からは公園整備事業が着手され、発掘調査や整備がおこなわれ、現在の姿になっています





[山梨県甲府市丸の内1丁目5−4]

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武田信重館 山梨県笛吹市

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六角山成就院 武田信重館跡



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関東管領上杉氏憲(出家後禅秀)と関東公方足利持氏との争いに加担、上杉禅秀に味方した甲斐守護武田信満は、幕府軍に攻められ応永二十四年(1417)天目山にて自害します。信満死後甲斐国内は甲斐源氏である逸見氏一族が関東公方の後押しもあり実権を握りますが、それをヨシとしない幕府は高野山に逃れていた信満の弟信元を甲斐守護に任命します。そのため甲斐国内は争乱で不安定な土地となります(その時期、信満の子信重も高野山に逃れています)。信元はなかなか帰国できませんでしたが、信濃守護小笠原氏の後押しで無事帰国し、その際守護代に信濃の跡部氏を任命したことが、後の争乱の火種に練っていきます。
永享十年(1438)にようやく甲斐に帰国した信重は信元の死後守護職に任ぜられ、成就院(かつて清光院というお寺があったようです)を館とし周囲に土塁などを構えます。信重は、守護職を争った逸見氏を滅ぼすなど功績をあげますが、宝徳四年(1450)十一月小山城の穴山伊豆守に攻められ、現在の成就院よりやや北側であえなく自害をしたと言われています。
武田信重の館跡は、後に子信守により六角山成就院(当時は臨済宗)が建立され父信重の菩提寺となりますが、後年周辺地域の開発と近くを流れる笛吹川の度重なる氾濫などにより、遺構は全く残っていません





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武田信重の墓




[山梨県笛吹市石和町小石和372]

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武田信成館 山梨県笛吹市

完成 武田信成館@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります♪(/・ω・)/ ♪




武田信玄の八代前の甲斐武田氏当主(信成-信春-信満-信重-信守-信昌-信縄-信虎-信玄)、武田刑部太夫安芸守信成の館跡現清道院です。甲斐国志では武田信守館跡とも伝えます。
応永五年(1398)三月十八日、武田信成が信濃遠征の最中、居城である赤甲城は敵に攻められ落城。夫人は館内の井戸に身を投げたと伝わります。信成の子信春は応永十七年(1410)、母の菩提寺として屋敷跡に清道院を建立したと伝わります。なお信成は応永元年(1394)に、信春は応永二十年(1420)に死去しています。

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清道院が館跡



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南側の土塁,そして道路と土塁の間は堀跡であろう!!




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武田信成公夫人身投げの井戸






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武田信成夫人の墓






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北側の堀跡





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この水路は堀跡か(西側)






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北側から見た館跡





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西側の堀跡、墓地は土塁




[山梨県笛吹市八代町北1750]

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勝山城 山梨県甲府市

完成 勝山城@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります♪(/・ω・)/ ♪



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勝山城 遠景 城址は 半分は果樹園でほぼ藪!!



笛吹川左岸の丘(勝山)の上に築かれていた城。『甲斐国志』によれば、油川(笛吹市、旧石和町)を拠点としていた武田氏一族の油川氏の居城である。城主の油川信恵(彦八郎)は甲斐国守護武田信縄の弟で、その後信縄から家督を相続した嫡男の信虎(信恵にとっては甥に当たる)と対立し、1508年(永正5)に坊が峰(笛吹市)で信虎と戦い敗死した。また、この城は甲斐と駿河(静岡県)を結ぶ中道往還の要衝に位置していたことから、しばしば甲斐に侵攻した今川軍に占領された。1515年(永正12)に今川氏に一時期占領されていたほか、1521年(大永1)に福島(くしま)正成率いる今川勢が来襲した際にも占領された。武田氏滅亡後、徳川家康と北条氏直との間に起こった天正壬午の乱(武田旧領の甲斐・信濃をめぐる領有争い)では、家康は相模の北条氏に備えて、家臣の服部半蔵に同城の修築を命じており、その後、徳川氏が甲斐を領有した後も、城の再整備が行われている。この城の名は史料にしばしば登場するものの長年位置が特定できずにいたが、1983年(昭和53)に主郭部や土塁、空堀跡などの遺構が発掘されて、その存在が確認された。




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東側の土塁




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虎口跡




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虎口に有る石碑




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郭2削平はされているが・・・・・・




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郭1・・・・ほとんどが藪・・・・・・




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郭3 半円形の帯状の郭





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郭1 南側の堀跡





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・・・・・・・もう、冬が近づいています・・・・・




[山梨県甲府市上曽根町2248]

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