星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Digi Bookで見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

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神奈川県 1/4

比企能員邸跡

比企能員は、源頼朝の乳母であった比企禅尼の養子であり、禅尼と共にこの場所に住んでいました。この土地の名前が、比企ヶ谷というのもこのためです。 能員の娘は頼家の妻になり、 若狭局(わかさのつぼね)とよばれて、一幡という子供を生みました。1203年頼家が病で倒れると、母親でもあり、頼朝の妻でもある政子が頼家の権力を2分して、頼家の弟千幡に渡そうとしました。このことに能員が怒り、 ひそかに北条氏を滅ぼそうと計画し...

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北条時房邸

若宮大路をはさんで反対側は、4代将軍の時から幕府が置かれた所で、この辺り一帯は、有力御家人の邸が並んでいたと言うことです。その一人、北条時房は、二代目執権北條義時の弟でいくつかの戦で活躍した豪傑だったようです政治家としても、執権の補佐の連署を務め、幕府公文書に執権と並んで認可の署名をしています。幕府ナンバー2という所でしょう余談ですが、この北条時房邸で二代将軍源頼家の娘で4代将軍夫人だった、美子(...

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若宮大路幕府

鎌倉時代の1236年から1333年にかけて98年間、鎌倉幕府の将軍(鎌倉殿)の御所(幕府)が置かれた場所である。若宮大路御所とも言う。その以前は宇都宮辻子に幕府があったが、北条泰時により移された。場所は宇都宮辻子幕府の敷地内の北側もしくは、泰時の邸宅の一部に移されたという説、場所は同じだが、入口が若宮大路側に面しているなど、諸説あって詳細は分かっていない。移転の理由としては4代将軍九条頼経の病気が原因だとい...

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畠山重忠邸

 『吾妻鏡』の建久10年(1199年)の条には、「畠山次郎重忠の南御門宅」とある。 畠山重忠は、源頼朝に仕えた武将。 頼朝の挙兵時には大庭景親に従ったが、間もなく頼朝に従い、頼朝の鎌倉入りでは先陣を勤めた。 宇治川の合戦では、おぼれかけた大串重親を岸にほうり投げたといい、一ノ谷の合戦のひよどり越えでは、愛馬を背負っておりたという伝説が残る。 段葛の造営や佐助稲荷神社の建設に力を尽くしたが、頼朝死後...

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千葉氏屋敷

鎌倉江の島七福神の一つで「寿老人」を祀る。旧本山は、中山法華経寺。達師法縁。鍋かむりで知られる日親ゆかりの寺として知られ、御家人千葉常胤の子孫千葉胤貞の別邸「千葉屋敷」跡に建つ。...

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