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category: 神奈川県  1/5

比企能員邸跡

比企能員は、源頼朝の乳母であった比企禅尼の養子であり、禅尼と共にこの場所に住んでいました。この土地の名前が、比企ヶ谷というのもこのためです。 能員の娘は頼家の妻になり、 若狭局(わかさのつぼね)とよばれて、一幡という子供を生みました。1203年頼家が病で倒れると、母親でもあり、頼朝の妻でもある政子が頼家の権力を2分して、頼家の弟千幡に渡そうとしました。このことに能員が怒り、 ひそかに北条氏を滅ぼそうと計画し...

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北条時房邸

若宮大路をはさんで反対側は、4代将軍の時から幕府が置かれた所で、この辺り一帯は、有力御家人の邸が並んでいたと言うことです。その一人、北条時房は、二代目執権北條義時の弟でいくつかの戦で活躍した豪傑だったようです政治家としても、執権の補佐の連署を務め、幕府公文書に執権と並んで認可の署名をしています。幕府ナンバー2という所でしょう余談ですが、この北条時房邸で二代将軍源頼家の娘で4代将軍夫人だった、美子(...

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若宮大路幕府

鎌倉時代の1236年から1333年にかけて98年間、鎌倉幕府の将軍(鎌倉殿)の御所(幕府)が置かれた場所である。若宮大路御所とも言う。その以前は宇都宮辻子に幕府があったが、北条泰時により移された。場所は宇都宮辻子幕府の敷地内の北側もしくは、泰時の邸宅の一部に移されたという説、場所は同じだが、入口が若宮大路側に面しているなど、諸説あって詳細は分かっていない。移転の理由としては4代将軍九条頼経の病気が原因だとい...

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北条執権邸

北条氏の小町亭がありました。北条義時以後代々の執権はたいていここに住みました。あの北条高時が、朝に夕に宴会をして、ときには田楽法師に対して、列席している重臣と共に、 ひたたれや袴(はかま)を投げ与えて褒美の山を築いたというのもこの場所であります。1333年に新田義貞が鎌倉に攻め入った時、戦火で焼けて灰になってしまいました。現在の宝戒寺は、 1335年に足利尊氏(たかうじ)が建てたものです。この寺は高時一族の恨み...

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畠山重保邸

若宮大路を由比ガ浜の方向に行くと一の鳥居の近くに畠山重保邸跡の碑と畠山重保主従四人の墓と伝えられる宝篋印塔がある。碑には「畠山重保は重忠の長子であるが、かつて北条時政の婿平賀朝雅と争った。朝雅その恨みから重保父子を時政に讒訴(ざんそ)した。時政はもともと重忠が頼朝の死後その遺言によって頼家を保護するのを見て、何か事があればこれを討とうと思っていた。よって実朝の命令によって兵を遣わして重保の邸宅を囲...

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