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category: 埼玉県  1/23

常泉の代官屋敷 埼玉県加須市

子孫の方が建てられた復元門小田家は本姓を福島氏とされ、江戸時代には常泉周辺の名主代官として屋敷を構え、明治維新以降に本姓である福島家に戻したものと思われます。本姓を有するという場合には、一般に天正18年(1590)徳川家康の関東入府以前の後北条氏が支配していた戦国時代において、有力な地侍階層(土豪)として存続していたであろうことも窺われるものですがその詳細は不明です。現在代官屋敷は、物流倉庫となり堀跡...

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道祖士氏館 埼玉県川島町

道祖士氏館 道祖土家戦国時代の古文書である「道祖土家文書」を所蔵していたことで県内でも著名な旧家です。道祖土家に伝わる文書類からは、岩付太田氏の家臣として享禄3年(1530)太田資頼から「29貫500文」を拝領していること、あるいは元亀3年(1572)、天正9年(1581)の氏政、氏直への代替わり時の改定着到状において「馬上1名、鑓持1名、旗持1名で合計3名の軍役」という比較的規模の小さな在地領主であることなど...

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太田道灌陣屋 埼玉県川島町

養竹院は臨済宗の寺で、明応の頃(1492~1500)太田道灌の養子で岩付城主・資家が道灌の菩提を弔うため道灌の弟で鎌倉円覚寺の禅僧・叔悦和尚を開山として建立したものです。元は太田道灌の陣屋があった所と伝わります。養竹院に堀跡らしき物が有るが、遺構で在るかは不明。太田道灌陣屋石碑養竹院の板碑...

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美尾屋十郎廣徳館 埼玉県川島町

美尾屋氏は、源義経の重臣・鈴木三郎重家が義経とその兄頼朝との仲が不和となり、奥州平泉へ逃れるため義経を慕って熊野を出て田木の吉田(現:東松山市)まできたとき、大雨により河川が氾濫し川を渡ることができずこの地に逗留。重家は子供連れで奥州へ行くのは困難と、友人の美尾屋十郎廣徳に一子を養子として託した。後3代まで美尾屋姓を名乗ったが、4代目から元の鈴木姓に改めたという。廣徳寺 本堂館を巡る堀廣徳寺大御堂...

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高取城 埼玉県越生町

高取城中世越生氏の居城であったと伝え、越生氏の館は今の越生神社付近にあったと伝承される。町史では商工会付近に方1町ほどで存在しただろうと推定している。今に残る高取城跡は越生氏の活躍した時代のものではなく、室町後半から戦国期のものと見られるので、少なくとも文明12年(1480)1月20日の長尾景春と太田道真の戦い頃を中心とした時代のものであろう。しかし、本城は、北武蔵の戦国史上に登場しない。越生氏居館の越生...

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