FC2ブログ

category: 宮城県  1/3

姫松館 宮城県栗原市

姫松館㊟イメ-ジ図になります(主要郭のみ表記しています)平泉藤原氏の臣井ノ山雅楽之丞が館主と伝えられ、雅楽之丞は近郷の諸館を統率したという。文治6年(1190)、平泉藤原氏の残党である大河兼任の乱を助けてこの館に拠り、鎌倉方の千葉新介、足利上総前司、小山五郎など東国の御家人らを迎え撃ち敗れたといわれ、落城の際、千代姫が傘に掴まって断崖を飛び降り逃げ延びたとの伝説がある。また、大崎氏の家臣湯山雅楽允の居...

  •  0
  •  closed

鶴丸城 宮城県栗原市

鶴丸城㊟イメ-ジ図になります。(帯郭等は表記していません)南北朝時代に、葛西氏一族の富沢河内守道祐によって築かれた。現在、岩ヶ崎小学校のある場所の北側の高地に築かれ、その最高部に本郭、その東に二の郭、三の郭、蛭子館の四つの郭で構成されていた。その規模は東西約650m、南北約400mに及ぶ。富沢氏は葛西氏に五代にわたって仕えたが、1590年(天正18)、豊臣秀吉の奥州仕置により主家葛西氏が滅亡した後、同地を去り南...

  •  0
  •  closed

桑折城(館山) 宮城県大崎市

桑折城(館山)大崎氏の四家老のひとりである渋谷相模守の居城として知られています。1588年(天正16年)に伊達政宗が大崎義隆を攻めた「大崎合戦」では大崎方の重要拠点となり、大崎・伊達氏に両属する状態にあった黒川月舟斎晴氏は伊達氏からの離反を決め、伊達軍を強襲して撃破しました。「大崎合戦」は大崎方に有利な条件で和睦しましたが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の奥羽仕置において大崎氏の所領は没収となり、あわせて...

  •  0
  •  closed

千石城(松山城) 宮城県大崎市)

千石城(松山城)茂庭家記録によると文覚館と云われ、文覚上人が築いたと云われる。文覚上人の後裔の遠藤盛親が鎌倉公方足利満兼から志田・玉造・加美の3郡奉行に任じられ、応永八年(1401年)に関東より長世保に下向したと云われる。以後、遠藤氏は天正十九年(1591年)登米郡石森に移る迄千石城を居城とし、松山郷を支配した。天正十六年(1588年)遠藤高康が城主のとき、大崎合戦が起きた。その後、石川昭光、古田...

  •  0
  •  closed

彫堂七館 宮城県美里町

彫堂七館彫堂地域の丘陵一帯には、古くから「七館八沢」と呼ばれている西から長館、大館、小館、陣館、狼之介館、笹館、蜂谷森(彫堂七館)の七館がこれをめぐって、八沢つまり空堀跡が随所に残っている。七館八沢は内乱後期大崎氏によって築城された可能性が高い。又蜂谷森を主城とする大規模な布陣は大崎氏であろう!!有力家臣を配置し、大崎領東部の守りの要とした。延宝年間幕府ぬい提出された「仙台藩古城上」には小牛田の彫...

  •  0
  •  closed