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category: 宮城県  1/3

亘理要害 宮城県亘理郡亘理町

地形が牛の臥せた形に似ていることから臥牛城ともいわれる。また、江戸時代は亘理要害と呼ばれた 亘理要害 縄張り図説明板より亘理要害 大手先 本丸詰門の南側に位置する。伊達稙宗の十二男で亘理氏に養子に入った亘理元宗が築き、亘理氏の居城を小堤城(現在の大雄寺付近)から移した。 亘理重宗が天正19年(1591年)、涌谷城に移った後、片倉景綱が城主となった。 慶長7年(1602年)、片倉景綱は白石城に移り、伊達成実が城...

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小堤城 宮城県亘理郡亘理町 

亘理伊達家菩提寺 大雄寺小堤城は亘理氏の最初の居城です。千葉常胤の子孫である武石宗胤がこの地を支配すると、7代・武石広胤の代に亘理氏を名乗っています。亘理氏は戦国時代には伊達氏に重臣として仕え、元宗・重宗父子の代に亘理城を築いて居城を移すと、廃城となりました。その後、1603年(慶長8年)に伊達成実が亘理に移封されると、翌年にはのちの亘理伊達氏の菩提寺である大雄寺がこの地に移されました。現在城址は大雄寺...

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姫松館 宮城県栗原市

姫松館㊟イメ-ジ図になります(主要郭のみ表記しています)平泉藤原氏の臣井ノ山雅楽之丞が館主と伝えられ、雅楽之丞は近郷の諸館を統率したという。文治6年(1190)、平泉藤原氏の残党である大河兼任の乱を助けてこの館に拠り、鎌倉方の千葉新介、足利上総前司、小山五郎など東国の御家人らを迎え撃ち敗れたといわれ、落城の際、千代姫が傘に掴まって断崖を飛び降り逃げ延びたとの伝説がある。また、大崎氏の家臣湯山雅楽允の居...

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鶴丸城 宮城県栗原市

鶴丸城㊟イメ-ジ図になります。(帯郭等は表記していません)南北朝時代に、葛西氏一族の富沢河内守道祐によって築かれた。現在、岩ヶ崎小学校のある場所の北側の高地に築かれ、その最高部に本郭、その東に二の郭、三の郭、蛭子館の四つの郭で構成されていた。その規模は東西約650m、南北約400mに及ぶ。富沢氏は葛西氏に五代にわたって仕えたが、1590年(天正18)、豊臣秀吉の奥州仕置により主家葛西氏が滅亡した後、同地を去り南...

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桑折城(館山) 宮城県大崎市

桑折城(館山)大崎氏の四家老のひとりである渋谷相模守の居城として知られています。1588年(天正16年)に伊達政宗が大崎義隆を攻めた「大崎合戦」では大崎方の重要拠点となり、大崎・伊達氏に両属する状態にあった黒川月舟斎晴氏は伊達氏からの離反を決め、伊達軍を強襲して撃破しました。「大崎合戦」は大崎方に有利な条件で和睦しましたが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の奥羽仕置において大崎氏の所領は没収となり、あわせて...

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