星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Digi Bookで見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

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茨城県 1/25

井上城 茨城県筑西市

井上城多くの中世城郭がそうであったように、城主が誰で在ったか不明であり、また史料上に登場することはない。しかし、その遺構は自然地形を主体にし防御体制を加えただけのきわめて古風なものであり、少なくとも戦国期以前のものであることはほぼ確実といってよい。しかも、古い時代の城跡としてはかなり大規模と守りを持っている点から見て、この地域でも重要な位置を与えられていた事は明らかである。井上城遠景 西側から・・...

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関本小詰城 茨城県筑西市

城跡は戦国期の物と判断される。永禄年間(1558~1568)多賀谷政経が結城亮の関本を奪取し(附城)を築いたという(多賀谷家譜)の記事である。関本小詰城は多賀谷政経により築かれた附城であり、政経はこれにより要地関本を掌握するとともに、西結城、山川氏に対峙したのではないだろうか。関本館と関本小詰城の位置関係関本小詰城 遠景関本の集落の南東部に存在する 西側は鬼怒川沿いの低地で、北側は小さな谷が入りこんでいる...

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関本館 茨城県筑西市

館跡のある関本は、関本群本郷すなわち関本の中心となっていたところである。その地にこのような規模の館を築いた主体としてまず想定されるのは関氏であろう。関氏は関群地頭であり、それゆえ群支配のために関郡の中枢部に予感を構える必然性は十分にあり得たと言える。この館跡は、東西106m 南北138.5mほどの規模を持ち、既に埋没した堀の存在を考慮するとかつては東西120m、南北150m近くはあったのではあろうか。関本集落の...

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江村館 茨城県下妻市

現在神明社が建つ場所が江村館 遠景舘跡は東西120mの規模をもつ、周辺には外郭の痕跡が確認されていないことから方形単郭の館として存在していたと考えられる。そして、土塁、堀の規模から判断すれば戦国期のものと考えるのが自然で、おそらく多賀谷氏の家臣で江村周辺に勢力を持っていた土豪の館か村も地の館(城)で在った可能性がたかい。関城地方の中世城郭跡より西側の堀 竹林の中西側の堀 土塁も明確に残る舘北側の土塁...

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駒城 茨城県下妻市

東西約120m、南北約180mの城跡の北西部に『駒城址』の碑があります。駒館、駒楯城ともいわれ、大宝城とともに常陸国における南朝方の戦略的拠点として重要な存在でした。在地の武将の名は確定できませんが、中御門(なかみかど)少将実寛(さねひろ)を擁して奮戦し、興国元・暦応3年(1340)5月27日、北朝方の将高師冬(こうのもろふゆ)の猛攻により実寛は生け捕りにされ、やがて落城したといわれています。土塁上の駒城址碑現...

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